粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

本当のリベラリズム

2015-01-18 19:31:16 | プロ市民煽動家

評論家の青山繁晴氏がラジオの番組で、最近のサザン桑田圭佑のパフォーマンスを例に挙げて、日本のリベラリズムを厳しく批判していた。

リベラリズムを信奉する方が芸能界から評論家の世界で日本ではいっぱいいる。しかし、本当のリベラリスムというのは自由が奪われようとするならば自ら銃を取って戦うことをいっている。

バスチィーユ監獄襲撃事件のときから自由と人権を擁護する動きが始まってやがてこれが後世フランス革命と呼ばれ、それをいざとなれば銃で守る。。…リベラリズムを安直に捉えてなんちゃってリベラリズムで人を批判したいのならフランスに行ってよく勉強すべきだ。

だから、口だけで自由や人権を唱えても守り得ない。これを抑圧するものがいるならば、それこそ体を張って時に銃を持って抵抗しなければ守れないということだ。これは国内の全体主義勢力ばかりでなく、外の侵略に対しても同様だ。

これについては、テレビにコメンテーターでもよく登場するある風刺漫画家の発言を思い出す。

戦争したい人間はてめえで勝手に行ってください。そのかわり自分は絶対行きたくない。降参してでも、中国領で生き続けることを良しとしてでも、戦いたくない人間はほっといてくれという感じだ。

それこそ、こういう人間の考えは青山氏からみれば「なんちゃってリベラリズム」というのだろう。おそらく、こういう人々は口ではそうはいっても、日本では自分たちの自由が抑圧される事態にはならないとタカをくくっているのではないか。それほどに日本の安全は空気にようにいつも存在して失うことなどありえない、と。

日本はフランスのように銃で自由や人権を勝ち取ったという経験が希薄である。特に戦後の民主主義は占領政策のなかで始まり、米国の核の傘の下で維持された側面がある。これまで体を張って自由を守らなけらばならない事態にはならなかった。その結果、他人を決して悪く考えないで信じ合えば世界が平和で自由でいられる、と観念的にしか考えない人々がいる。

しかし、日本の周りをよく見ると実際、人権が抑圧され、その圧政で苦しんでいる国がある。北朝鮮そして中国などだ。日本のリベラリストの多くはなぜか、こうした国々に対してなんら批判めいたメッセージを発せず沈黙している。ノーベル文学賞を受賞した著名作家が、日本やアメリカの核政策を非難しても中国や北朝鮮の核を批判したことのを聞いたことがない。リベラリズムの底がしれるというものだ。

そして、日本の芸能界のリベラリストも…。坂本龍一、そして桑田圭佑よ、一度でいいから人権抑圧国を風刺するパフォーマンスを音楽の場で示して欲しいが、無理な相談か。