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粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

自民党と公明党の馴れ合い

2014-06-19 18:26:49 | 国内政治

結局、今国会中に、集団的自衛権行使容認の憲法解釈変更も閣議決定は見送りになりそうだ。自分自身、いくら公明党が口では抵抗しても、最後はなんとかまとまると予想していたが、当てが外れた。

結局公明党の支持母体である創価学会の抵抗が強くて、同党が説得できなかったといえる。これは山口代表の力不足が原因だと思う。山口代表は創価学会での幹部経験が乏しく、学会からは甘く見られた結果ともいえる。おそらく、山口代表には自民党の暴走を食い止めたという達成感はなく忸怩たる思いがあるだろう。

自民党も公明党に集団的自衛権容認の賛同を得るために、行使の範囲を極めて限定した。いわゆるポジティブリストとして行使できる事例を具体的に挙げて公明党ひいては創価学会を説得しようと努めた。妥協につぐ妥協だったが、それでも与党として合意にはいたらなかった。

これまで安部政権は自公両党は主張の相違はあるものの最終的には妥協して政策を進めてきた。しかし、今回のような事態で連立政権の矛盾が表面化して連立解消へと突き進んでいくのだろうか。

どうも想像するに、そう簡単には連立解消ということにはならないと思う。結局、自民党も公明党も各議員が選挙を意識して自分の政治的基盤を守ろうとする。つまり自公が協力しなければ選挙には勝てない。公明党にとって創価学会の票が死活問題だが、自民党議員にとってもいまや学会票は欠くことができない。

自民党の衆議院議員は選挙区では選挙協力で学会票が全国平均で2万票も当てにできるという。そして逆に公明党議員は衆議院の比例区で見返りに自民党支持者から組織票が見込めるという。参議院選挙もしかり。自民公明がお互いもたれ合いの構図が出来上がっている。

自公連立は中央政界に留まらない。11月に予定されている沖縄県知事選挙では、普天間基地の辺野古移設を推進する仲井真現知事が再選できるが既に注目されている。もし、辺野古移設に反対する候補者が勝利すると今後の日本の防衛政策に極めて深刻な事態となる。これを防ぐために自民公明がきっちり連携をとることが求められているのが現在の状況だ。

比較的順調に推移して支持率も高い安部政権だが、背後には抗しがたい政治の力学が働いている。政治家の威勢の良いスローガンも裏を返せばドロドロしたエゴが見え隠れする。

 


自衛隊員の忍従

2014-06-16 20:59:06 | 国内政治

自衛隊機に対する度重なる中国戦闘機の異常接近について、ラジオで評論家の勝谷誠彦氏が、チンピラが刃物をもってこちらに急接近するようなものだと語っていた。それも、こっちが下手に顔を動かすとそのまま刃物が刺さるような非常に危うい近さだ。

日本は憲法第9条によって、先制攻撃ができない。いわば刃物で負傷して初めてこちら側が攻撃することができる。自衛隊員は、そんな危険な挑発にも忍従する自制心をもっていると勝谷氏は賞賛している。

ただ、これは結果的に中国軍を居上高にさせることになりうる。おそらく、中国側がこうした異常接近によて日本側の出方を試しているといえる。日本側が大人しくしていれば、次回はさらにつけあがる可能性が高い。

これが平和憲法の実態といえるのではないか。確かに先制攻撃ができないことで衝突は避けることはできるかもしれない。しかし、それによって領海・領空が侵犯され日本の安全保障が極めて深刻な状況になることも将来ありえる。

憲法9条のため日本国民の安全が脅かされるとしたら、なんのための憲法になるのか。憲法が残って国が滅ぶ。憲法9条にノーベル平和賞をと叫ぶ市民団体の動きをおそらく多くの自衛隊員はやりきれない思いで見ていることだろう。

あるいは、最近の集団的自衛権行使を巡る国会内外の騒擾にも、自衛隊員にとってはなんと浮世離れした世界に思われるにに違いない。防衛に個別や集団の区別を付けること自体おこがましいのではないか。

古代の平安貴族は、来世を浄土で送るためにひたすら現世で殺生を忌避したという。殺傷を旨とする武士や生き物を殺したり食べたりする一般庶民を蔑む優越主義に凝り固まっていた。現代の平安貴族とは一体どんな人々か、想像したくなる。

ところで、誤解してならないことは、手柄を望む昔の武士と違って、自衛隊員は決して戦争を望んでいないことだ。戦争の恐さを一番よく理解しているのも彼らである。戦争にならないように日々防備を整備し、訓練に励んでいるといえる。そんな自衛隊の努力を削ぐ権利は政治家にもマスコミにもないはずだ。


河野洋平元官房長官が今すべきこと

2014-06-09 15:45:14 | 国内政治

たまたま正午前、NHKラジオを聞いていたら国会中継が行なわれていて、民主党議員が参議院決算委員会で安部首相に質問をしていた。主に集団的自衛権行使容認を巡る質問だが、その民主党議員は雑誌に掲載された河野洋平元官房長官の発言を引用して首相の政治姿勢を批判していた。

産経ウェブでその模様がすでに速報で出ているが、河野元長官は雑誌で「上から目線で接していることが少なくない。とりわけ疑問に思うのは相手の議員によって言い方や姿勢を変えているように見えることだ」「議員の背後にいる国民に著しく礼を失している。行政の責任者として非常に不適切だ」などと安部首相を厳しく批判している。

こうした批判に対して安部首相は「信念を少し丸めて、その場を取り繕っても、後々大きな禍根を残すこともある。それは政治家として不誠実ではないか」と反論した。

ラジオなので首相の表情はわからなかったが、声からすると相当感情が高ぶっているように聞こえた。察するに「あんな無責任な元官房長官の批判など聞きたくない」ということではないか。自分自身も国賊ともいってよい人物が今更何をわめいているのかと、不快感で一杯になった。

21年前に発表された河野談話がその後の日本にどれだけ厄難をもたらしたことか。確かに当時厳しい日韓関係は理解すべきかもしれないが、河野元長官は少なくとも自責の念を持ってしかるべきだ。この談話によって韓国に日本叩きの大きな口実を与えたばかりか、全世界に旧日本軍が朝鮮女性を強制連行して性奴隷として迫害したという全くの捏造を拡散させてしまった。

そんな人物から「行政責任者として不適格だ」などと首相がいわれる筋合いは全くない。首相が「後々に大きな禍根を残す」と暗に河野元長官を批判しているのは至極当然だろう。その禍根を残している張本人がその反省さえも示さず、逆に安部批判をしていることは二重の意味で犯罪的だとさえ思われる。

菅官房長官が以前の答弁で、「現政権で河野談話を見直すつもりはない」と発言していた。おそらく日米、日韓関係を考慮した上での判断だろう。それであるならば、今できることは河野元長官本人がこの談話を巡る問題について公の席で弁明すること以外にない。できればこの談話の信憑性を全面的に否定し謝罪すべきだ。もし、今でも自分の談話に自信をもっているのなら、堂々と持論を展開すべきではないか。

しかし、いまだこの件については口を閉ざして逃げ回るだけだ。そのくせ、現政権の政治姿勢を一人前に批判する。政治家の風上にも置けない人物といったら言葉が過ぎるだろうか。これではとても安部首相の顔をまともに直視できないのではないか。韓国の日本叩きは不快だが、それ以上にこうした反日的日本人にはなおさら腹立たしさを覚えてしまう。

 

非力×非力

2014-05-29 17:02:07 | 国内政治

日本維新の会の分裂が決定的になった。地域政党の大阪維新の会と国会野党の立ち上がれ日本が合流してできた政党だ。元々両者は目指すべき国家観には相当開きがあったが、橋下徹と石原慎太郎という看板役者が共同代表でいたことで何とかこれまで維持できたに過ぎない。いずれ分裂するのは目に見えていた。自分からすればよく1年半も持ちこたえたと感心するくらいだ。

袂を分けた両代表とも残念ながら党発足当時の輝きはない。橋下代表も大阪市政を混乱させているばかりでその人望も凋落の一途だ。しかし、彼に変わり得る人材は見当たらない。石原氏の方もかつての都知事時代に見られた政治刷新の旗手としての輝きも褪せてしまっている。こちらも石原氏の意志を引き継ぐ清新な後継者は望み薄だ。

橋下市長側は昨年みんなの党から独立した結いの党と合流する意向のようだ。しかし、この結いの党とて政党支持率が社民党以下であり、全く存在感がない。政策についてもただリベラルという印象しかなく他の政党との違いがよくわからない。

一方石原氏側はみんなの党と連携を模索しているようだが、こちらの党もぱっとしない。分裂騒動で国会議員も半減したばかりか、代表だった渡辺氏のスキャンダルで党のイメージダウンが甚だしい。

ともに非力同士が結びついても非力のままである。下手をすると一段と政党としてのパワーを失っていく感じがする。

そして非力の政党がもう一つある。民主党である。この政党も海江田氏に代表が変わって以来全く浮上する様子がない。存在感は薄れる一方だが、見方によってはこの程度済んだといえないこともない。少なくとも分裂していない。いや分裂するエネルギーさえもないかもしれない。

民主党が今後他党の草刈り場になることが盛んにメディアでは取沙汰されている。おそらくかつての社会党のように脱党者が続出し散り散りにまま消滅する運命になるのではないか。

非力に拍車が掛かる弱小野党。残るは一強の自民党、そして公明党と共産党の組織政党だ。メディアは二言目には健全野党の育成を強調するが、この健全とはそもそも一体どういうことか。従来のいわゆるリベラルというのは考えものだ。その象徴に鳩山由紀夫元首相を連想してしまう。そんな人物が徘徊するようでは日本も終わりだ。近くの無法国家に飲み込まれる危機に見舞われる。


集団的自衛権行使と公明党

2014-05-24 15:29:55 | 国内政治

産経新聞で意外な記事に出くわした。

野中広務元官房長官は23日のTBS番組収録で、公明党の支持母体の創価学会広報室が集団的自衛権の行使容認問題をめぐり、政府のこれまでの憲法解釈を支持する見解を示したことを批判した。「政教分離と言いながら、特に憲法について発言したのは非常に問題だ」と述べた。

実は野中元官房長官は以前朝日新聞の取材で安倍首相が進める集団的自衛権行使容認の動きに反対する発言をしているのだ。したがって、創価学会の「反対」表明にも同調してもいいはずだ。しかし野中氏はそんな政策の是非よりも創価学会の「政教分離」に抵触する姿勢をまず第一に批判しているのだ。

これにはおそらく、朝日新聞そして公明党が面食らっていることだろう。実は野中氏に対しても創価学会に対しても朝日新聞は集団的自衛権行使容認について「反対」の言質を得ていている。特に創価学会の「反対」はまるでスクープの如く新聞のトップに大々的に報じた。これをもって元々行使容認に慎重な公明党を一層揺さぶろうと目論んだ訳だ。

山口代表以下公明党幹部はこうした学会の発言には戸惑っているのは確かだ。山口代表がこの件で「ノーコメント」として何も語らないのがそれを物語っている。おそらく、公明党の本音は最終的に集団的自衛権行使容認に賛成なのだと考えられる。しかし、支持母体の創価学会特に婦人部が反対しているので、表向きはなかなか容認を口にすることはできない。ただし、山口代表以下公明党首脳は「慎重」は口にはしても「反対」と全然表明していない。

そして今回の野中元官房長官による創価学会批判だ。これは公明党批判にもつながる。結局公明党は政教分離と言いながら相変わらず創価学会べったりだという批判だ。朝日新聞も、事が自分たちの意図とは違う方向に進んでいくことは思惑外れと感じているはずだ。

おそらく、公明党は「政教一致」批判を避けるために行使容認に向けて粛々と与党協議に臨んで行くものと考えられる。行使容認といっても「行使ができること」を挙げて協議するに過ぎない。したがってその範囲は極めて限定的なものになっていく。もちろんすぐ戦争する仕組みになりような話ではない。外部の感情的で無責任な煽動に振り回されることなく、現実的な安全保障政策が構築されていくことを願っている。