粗忽な夕べの想い

落語の演目(粗忽長屋)とモーツアルトの歌曲(夕べの想い)を合成しただけで深い意味はありません

河野洋平元官房長官が今すべきこと

2014-06-09 15:45:14 | 国内政治

たまたま正午前、NHKラジオを聞いていたら国会中継が行なわれていて、民主党議員が参議院決算委員会で安部首相に質問をしていた。主に集団的自衛権行使容認を巡る質問だが、その民主党議員は雑誌に掲載された河野洋平元官房長官の発言を引用して首相の政治姿勢を批判していた。

産経ウェブでその模様がすでに速報で出ているが、河野元長官は雑誌で「上から目線で接していることが少なくない。とりわけ疑問に思うのは相手の議員によって言い方や姿勢を変えているように見えることだ」「議員の背後にいる国民に著しく礼を失している。行政の責任者として非常に不適切だ」などと安部首相を厳しく批判している。

こうした批判に対して安部首相は「信念を少し丸めて、その場を取り繕っても、後々大きな禍根を残すこともある。それは政治家として不誠実ではないか」と反論した。

ラジオなので首相の表情はわからなかったが、声からすると相当感情が高ぶっているように聞こえた。察するに「あんな無責任な元官房長官の批判など聞きたくない」ということではないか。自分自身も国賊ともいってよい人物が今更何をわめいているのかと、不快感で一杯になった。

21年前に発表された河野談話がその後の日本にどれだけ厄難をもたらしたことか。確かに当時厳しい日韓関係は理解すべきかもしれないが、河野元長官は少なくとも自責の念を持ってしかるべきだ。この談話によって韓国に日本叩きの大きな口実を与えたばかりか、全世界に旧日本軍が朝鮮女性を強制連行して性奴隷として迫害したという全くの捏造を拡散させてしまった。

そんな人物から「行政責任者として不適格だ」などと首相がいわれる筋合いは全くない。首相が「後々に大きな禍根を残す」と暗に河野元長官を批判しているのは至極当然だろう。その禍根を残している張本人がその反省さえも示さず、逆に安部批判をしていることは二重の意味で犯罪的だとさえ思われる。

菅官房長官が以前の答弁で、「現政権で河野談話を見直すつもりはない」と発言していた。おそらく日米、日韓関係を考慮した上での判断だろう。それであるならば、今できることは河野元長官本人がこの談話を巡る問題について公の席で弁明すること以外にない。できればこの談話の信憑性を全面的に否定し謝罪すべきだ。もし、今でも自分の談話に自信をもっているのなら、堂々と持論を展開すべきではないか。

しかし、いまだこの件については口を閉ざして逃げ回るだけだ。そのくせ、現政権の政治姿勢を一人前に批判する。政治家の風上にも置けない人物といったら言葉が過ぎるだろうか。これではとても安部首相の顔をまともに直視できないのではないか。韓国の日本叩きは不快だが、それ以上にこうした反日的日本人にはなおさら腹立たしさを覚えてしまう。

 


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