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ファーガス・アンダーソン。(番外編vol.358)

2013年10月07日 09時20分11秒 | Weblog
50年代に活躍したイギリス人ライダー「ファーガス・アンダーソン」選手ですよ。

1909年生まれなので49年から始まったWGP開催の時点ではすでに40歳でした。

「ファーガス・アンダーソン」選手の場合、

イギリス人とは言ってもスコットランド生まれなので、

本格的なレース活動をするためヨーロッパに移住していたようです。

他の有名選手と違い、小さなエリア選手権では何度も優勝を飾った経緯はあるのですが、

マン島TTのような最高峰レースには参加していません。

それでも50年にはイタリアの名門モト・グッツィ・チームとプロ契約を交わし、

同年よりWGP250ccクラスに参戦します。

50年が総合2位、52年も総合2位を獲得し、53年より350ccクラスにステップアップ。

で、同年53年、54年と2年連続でWGP350ccクラスチャンピオンに輝きます。

それまでイギリスメーカーしか優勝してなかったので、

「ファーガス・アンダーソン」選手が乗るモト・グッツィが、

当時、唯一の他国メーカーの優勝という快挙をなし得ていたんですよね。

44歳という年齢もありこの年をもって引退を表明し、

モト・グッツィ・チームのマネージャーに就任しますが、

いろんな理由が重なり翌年には退職してしまいます。

56年には引退を撤回しNドイツのチームBMWより参戦を開始しますが、

ベルギーGPにて事故を起こし他界。

享年47歳でした。

遅咲きだったため、短く少ないレース活動の中にあってこれだけの成績を残したことは、

凄いにつきます。

情報が少ないのですが「ファーガス・アンダーソン」選手が相当優秀であったことは、

間違いないですね!


レスリー・グラハム。(番外編vol.357)

2013年10月05日 09時00分49秒 | Weblog
古くは30年代から50年代にかけて活躍したイギリス人ライダー、

「レスリー・グラハム」選手ですよ。

1911年生まれの彼のレースキャリアは戦前の29年からで、

当時、母国イギリスで盛んに行われていたダートトラックレースから始まります。

イギリスのOK-Supreme社が手がけていたOHC機構のエンジン開発に貢献しており、

多くのエリア選手権で優勝したみたいですね。

しかし第二次世界大戦が始まったことでレース活動は一時休止され、

軍隊に招集されることに。

終戦まで輸送部隊でパイロットを努めていまいした。

戦争が終わるとAJSレーシングチームから誘いを受けレースの世界に復帰します。

まずはマン島セニアTTに参戦し18個の世界最高速度記録を樹立します。

49年からWGPが始まると同チームからフル参戦を開始。

結果、WGP500ccクラスでの初のチャンピオンに輝くことになります。

翌年50年は350ccクラスとのダブルエントリーで戦いますが、

当時最強だったノートンやMVアグスタチームに苦戦を強いられ優勝は逃していまいます。

結果、一向に開発が進まないAJSチームに不満を募らせていた「レスリー・グラハム」選手は、

MVアグスタチームに電撃移籍し51年は500ccクラス総合2位を獲得。

52年もMVアグスタチームから参戦しチャンピオンことなれませんでしたが、

250ccクラス総合3位、500ccクラス総合2位を獲得。

そして運命の53年シーズン幕開けを迎えるのですが、

WGP前に行われたマン島TTレースで高速で疾走中、

突然コントロールを失い、ブレイヒルのふもとに衝突し乗り上げ即死。

享年41歳でした。

事故原因に関してはいろいろな説があり、ステアリングの破損、

ライバルから40秒遅れのピットサインに動揺、

アールズフォークタイプのフロントサスペンションを使用したため等と様々です。

初期のバイクレースを飾った素晴らしい選手だったのですが、

残念な結果となってしまいます。

現在もマン島にはグラハムの記念碑が立っているようですね。


ウンベルト・マセッティ。(番外編vol.356)

2013年10月04日 09時27分23秒 | Weblog
50年代に活躍したイタリア人ライダーの「ウンベルト・マセッティ」選手ですよ。

WGPが開催された49年から125cc、250ccクラスにエントリーしており、

125ccクラスで総合3位を獲得します。

翌年、50年からはイタリアメーカーのジレラより500ccクラスに参戦。

いきなり優勝を重ね堂々のワールドチャンピオンに輝きます。

51年が総合3位、52年に2度目のチャンピオンを獲得。

その後、58年まで参戦しますがケガなどにより上位入賞を果たすことは出来ず、

引退してしまいます。

「ウンベルト・マセッティ」選手が活躍したこの時代は、

第二次世界大戦の終戦(45年)からまだ数年しか経っておらず、

まだまた戦後の復興期の中にあり、

ヨーロッパ情勢も決して芳しいものではありませんでした。

そんな時代に新たな目標を見つけプロライダーとして戦ったことは、

尊敬に値しますね。

また、この時代のレーシングマシンはいろいろな意味で、

開発途上にあったため、変わったデザインのカウルを装着したものもありました。

「ウンベルト・マセッティ」選手の場合、

母国イタリアメーカーのジレラのマシン開発にも貢献しており、

当時考えられる、あやゆるパーツを試していたようです。

速いラーダーが在籍しているチームほど優秀な成績を残せた時代だったんですね。

残念ながら高齢のため「ウンベルト・マセッティ」選手は06年に他界。

また、500ccクラスで2度チャンピオンになっていますが、

motoGP殿堂には選ばれていません。

時代に埋もれた優秀な選手だったんですよね。




ジェフ・デューク。(番外編vol.355)

2013年10月03日 09時29分21秒 | Weblog
50年代に活躍したイギリス人ライダーの「ジェフ・デューク」選手ですよ。

WGP(世界ロードレース選手権)の起源は1949年からとクルマに比べ年数が短いです。

で、それまではイギリスのTTマン島レースが唯一、

世界各国からバイクメーカーやライダーが集まる選手権だったんですよね。

そんな時代に活躍した「ジェフ・デューク」選手なのですが、

まずはTTマン島レースからレース活動を開始します。

ノートン・ファクトリーからエントリーし、合計5回のチャンピオンに輝いています。

50年からWGPに参戦し、51年には350cc、500ccクラスでWチャンピオンに。

52年は350ccチャンピオン、

53年、54年、55年は3年連続で500ccクラスチャンピオンになっています。

WGPでの総合優勝は6回におよび、当時イギリスの国民的英雄だったようです。

またTTマン島レースで打ち立てた平均時速160km以上というのも、

偉業とされてるようですね。

そもそもモータースポーツはヨーロッパが起源であり、

特にイギリスで発祥してる経緯があるため、初期の時代というのは、

ほとんどがイギリス人でバイクもイギリス製だったんですね。

60年代に入り日本メーカーの参入でその勢力図は変化していくのですが、

どちらにせよ、随分昔の話しになってしまってますね。(笑)


アンヘル・ニエト。(番外編vol.354)

2013年10月02日 08時44分41秒 | Weblog
60年代から80年代にかけて活躍したスペイン人ライダー「アンヘル・ニエト」選手ですよ。

64年からスペインチームのデルビよりWGP50ccクラスに参戦。

69年、70年と50ccクラスチャンピオンに輝きます。

71年には125ccクラスで総合優勝を果たし72年は50cc、125ccのWチャンピオンに。

75年、76年、77年は3年連続で50ccクラスチャンピオンとなり、

79年、81年、82年、83年、84年と立て続けに125ccクラスチャンピオンになっています。

本国スペイン、もしくはイタリアのチームから参戦していたため、

小排気量クラスでしかレースをしていませんが、

通算で13回のワールドチャンピオンに輝いたスペインの英雄だったりするんですね。

優勝回数も90回を誇り、00年にはMotoGP殿堂入りも果たしています。

バレンティーノロッシ選手が90勝を上げた時に自身の記録と同じになったとして、

タンデム走行をしています。

で、最終的には86年シーズンをもって引退しています。

現役後半の125ccクラスでの「アンヘル・ニエト」選手の活躍を

ボクもリアルタイムで見ていましたが、その頃はすでに速さは失っていましたね。

ただ、やたらにマスコミにフューチャーされていたので、

かつては、かなり強い選手だったんだろうなぁとは思っていました。

現在は本国スペインで解説者をしたり、チーム監督をしてるようです。

小排気量クラスはあまりTVでの露出度が低いので、見逃しがちですが、

バイク雑誌では沢山取り上げられていました。

これまた、懐かしライダーなんですよね。


ジョン・サーティース。(番外編vol.353)

2013年10月01日 12時21分11秒 | Weblog
50年代に活躍したイギリス人ライダーでもありF1ドライバーでもある、

「ジョン・サーティース」選手ですよ。

父親の影響で始めたバイクレースという経緯があるため、

この時代では珍しい英才型ライダーです。

幼少よりバイクに乗り始め10代までにイギリスでのエリア選手権で優勝しまくり、

若くしてノートン・チームよりWGP500ccに参戦します。52年でした。

初期はなかなか優勝出来なかったのですが、

MVアグスタ・チームに移籍してから頭角を現し始めます。

56年に最高峰500ccクラスチャンピオンに輝いたのを期に、

58年、59年、60年と3年連続で350cc、500ccのWチャンピオンにつきます。

その後、まだ20代中半で最盛期だったバイク界を引退し4輪のF1に移行してしまいます。

60年にロータスF1より参戦を開始し、

64年に移籍したフェラーリでワールドチャンピオンに輝きます。

WGPとF1の両方でチャンピオンになった人は現在でも

この「ジョン・サーティース」選手ただ一人です。

世間からは「ビッグ・ジョン」または「怖いもの無しのジョン」の異名を取るほどでした。

67年から第一期ホンダF1のドライバーとして活躍し、

ホンダに初の勝利をもたらした人物としても有名だったりします。

03年にはMotoGP殿堂入りを果たし現在80歳。

最近まで自身のチームを結成しMotoGP125ccクラスで監督として戦っていましたが、

運営難からかチーム自体が消滅してしまったようです。

まぁとにかく現役時代はその天才ぶりを発揮し、凄い人だったんですね!