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レスリー・グラハム。(番外編vol.357)

2013年10月05日 09時00分49秒 | Weblog
古くは30年代から50年代にかけて活躍したイギリス人ライダー、

「レスリー・グラハム」選手ですよ。

1911年生まれの彼のレースキャリアは戦前の29年からで、

当時、母国イギリスで盛んに行われていたダートトラックレースから始まります。

イギリスのOK-Supreme社が手がけていたOHC機構のエンジン開発に貢献しており、

多くのエリア選手権で優勝したみたいですね。

しかし第二次世界大戦が始まったことでレース活動は一時休止され、

軍隊に招集されることに。

終戦まで輸送部隊でパイロットを努めていまいした。

戦争が終わるとAJSレーシングチームから誘いを受けレースの世界に復帰します。

まずはマン島セニアTTに参戦し18個の世界最高速度記録を樹立します。

49年からWGPが始まると同チームからフル参戦を開始。

結果、WGP500ccクラスでの初のチャンピオンに輝くことになります。

翌年50年は350ccクラスとのダブルエントリーで戦いますが、

当時最強だったノートンやMVアグスタチームに苦戦を強いられ優勝は逃していまいます。

結果、一向に開発が進まないAJSチームに不満を募らせていた「レスリー・グラハム」選手は、

MVアグスタチームに電撃移籍し51年は500ccクラス総合2位を獲得。

52年もMVアグスタチームから参戦しチャンピオンことなれませんでしたが、

250ccクラス総合3位、500ccクラス総合2位を獲得。

そして運命の53年シーズン幕開けを迎えるのですが、

WGP前に行われたマン島TTレースで高速で疾走中、

突然コントロールを失い、ブレイヒルのふもとに衝突し乗り上げ即死。

享年41歳でした。

事故原因に関してはいろいろな説があり、ステアリングの破損、

ライバルから40秒遅れのピットサインに動揺、

アールズフォークタイプのフロントサスペンションを使用したため等と様々です。

初期のバイクレースを飾った素晴らしい選手だったのですが、

残念な結果となってしまいます。

現在もマン島にはグラハムの記念碑が立っているようですね。