feel.

レンズを通してみえたもの。感じたこと。

ライカが人生に仲間入り。

ベネッセの夜。

2011年09月21日 | 旅行

暮れていく陽がとてもきれいなミュージアムカフェ。

夕方は無料で(ここ重要)付いてきたウェルカムシャンパンをいただきながらのんびり。

宿泊部のSさんがわざわざ僕達を訪ねてくださり、いろんな話を聞かせてくださった。

ベネッセハウス創業の頃からホテルを見守ってきた氏は横浜での仕事を定年で退職されたあと、地元の直島に帰ってきて宿泊部の仕事につかれたのだとか。

夕暮れを愉しむのならミュージアム棟の部屋がいいとのこと。












宿泊者限定のパーク棟ラウンジ。ソフトドリンクは無料(ここも重要)















最高だ…(T_T)



















部屋に戻るとおにぎりとワイン赤白セットの差し入れが。



ゆっくりレストランで食事をしていたら、良くしていただいているベネッセスタッフからサプライズのお祝いで歌を歌ってもらったり、プレゼントをいただいたり
忘れられない思い出を作ってくださった。

食後は宿泊者だけの特典である閉館後のミュージアムをゆっくり鑑賞。
夜10時の美術館は、中にいるのは宿泊客が数組だけでひっそり。
特別な時間に入れるなんて最高だ。
静か~なパーク棟地下の杉本博司作品も素晴らしい。
しかもぜんぶ安藤建築(しつこい?)

楽しみにしていた3人のつぶやき作品がメンテナンス休止となっていて残念だったが、それでもとーっても素晴らしい夜だった。

安藤建築とアート作品には静寂を。ベネッセハウスの一番の魅力は夜にあると思う。

Benesse House ,Naoshima.

2011年09月20日 | 旅行







モノレールが新しくなっていた。











正面の巨大なガラス窓は地下に沈むギミック。






パノラマが楽しめる全面の窓!

窓一枚一枚から見える風景が作品なのだとコンシュルジュ的なおじいさまは仰っていた。







アーティストが直接ペイントを施した壁の作品







色使いは少し古いかもだが、大好きなマラルンガ

















半年待って、念願かなって行ってきた直島ベネッセハウス。

朝一番でモネの睡蓮を拝み、あとはひたすらベネッセハウス。

暑すぎず程よい気候に遮るものなく吹き抜ける心地良い風。

二部屋だけのための絶景、人や機械の音が全く聞こえない環境で聞こえるのは波の音と虫の鳴き声(目の前や屋上に庭がある)

心の底から落ち着くことができた。

何よりも嬉しいのは安藤建築の中に居れるということ。

ゆったりまったり、直島を鑑賞。

オフの本。

2011年09月17日 | 観たもの読んだもの


僕は日常的に本を何冊か並行で読む。

生活でオンとオフがあるように、オンではビジネス書、オフでは文学作品、ちょっとした休憩にエッセイや漫画や雑誌などといった具合。

伊集院静の”可愛いピアス”を読んでいる最中ではあるが、これは旅に持っていくような本ではないと思い(笑)
新たに手にとったお愉しみが”パリ左岸のピアノ工房”

今週末はひっさしぶりの泊りのまったり旅行なので、この本片手に出かけてこようと思う。

我慢しきれずちょろっとだけ読み始めてしまったが、心地よいパリの情景が思い浮かんでくるようでとても心地良い読み心地。

セーヌ川ではないが海を望みつつページをめくろう。


われはロボット。

2011年09月13日 | 観たもの読んだもの


映画にもなったという(観てない)i robotの元となったミステリーSF

ロボット3原則にのっとって作られたロボットと人間のお話。

設定が本当に良くできている。

こんな未来があるかも…なんて吃驚しながら読んでいて、

実はこの本が60年も70年も前に書かれた内容だと知ると更に更に吃驚。

凄いとしか言いようがない。

MOSDO.

2011年09月12日 | グルメ








モスバーガー X ミスタードーナツのコラボショップ”モスド”に行ってみた。

まだ開店4日目という日本に二店目の新業態ショップ。

京都にいったんやから、折角なのでいっとこかと。

お洒落な雰囲気と、物珍しいサンドイッチやスイーツがいい感じ^^

川2.

2011年09月10日 | フォト/カメラ


僕達の住む地域の川の被害が河川敷だけで済んだというのは前の日記で書いたとおりだが、
ひとつ南隣の川は本当に酷い有様だという。
被災地の復興に出られているウチのお客様のお話を聞いて驚愕。
行方不明の方が未だいらっしゃる、家が流される、別荘地が全部流された、牛が500頭流された(しかも自主回収しないといけないという!)、道路が寸断、などなどなど
地元の新聞をググってみると本当に出た。
TVでは全国的にも名が知られているようなメジャーどこしか放映していないが、僕のすぐ隣の町でこれだ。
もっと僕達に出来ることを考えよう。


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台風12号 日高地方で死者4人、行方不明1人
2011年9月 6日

県道がえぐりとられ濁流が民家まで押し寄せた現場(4日昼、皆瀬の美山モータース付近)
 紀伊半島を中心に全国的に多数の死者を出した台風12号は日高地方にも記録的な豪雨をもたらし、日高川町とみなべ町で合わせて4人が死亡、1人が 行方不明、 御坊市や印南町で2人がケガをするなど大きなつめ跡を残した。 日高川町では美山、 中津、 川辺地区のいたるところで日高川が氾濫。美山、中津地区合わせて56棟の民家や別荘が流出・水没して全壊、同町ほか御坊市、 印南町、日高町など日高地方全体では約200棟が半壊・床上・床下浸水。道路や橋の崩落、土砂崩れも相次ぎ、昭和28年の「7・18」以来の大水害とな り、 多くの住民が眠れない一夜を過ごした。
 
御坊署によると、亡くなったのは日高川町川原河46、無職籔内省三さん(80)▽同町高津尾111、会社員信濃拓さん(65)▽同町三佐203、会 社員藤原稔さん(52)の3人。行方不明となっているのは、同町田尻地内の別荘に来ていたとみられる男性で、詳しい身元は分かっていない。

 調べによると、籔内さんは4日午前1時ごろ、70代の妻が運転する乗用車で避難所となっていた川原河小学校へ向かったが、道を間違えて通り過ぎてしま い、同校から東約200㍍の三差路付近でUターンしようとした際、日高川の増水で冠水した道路に進入して立ち往生。籔内さんは両足が不自由だったため、妻 が車を降りて避難所へ助けを求めに向かい、人を連れて戻ると、さらに増水しており、車が見えないほど水没していた。どうすることもできず、水が引くのを 待って、消防隊らが午前4時ごろに車内から助け出したが、すでに死亡していた。死因は溺死だった。

 信濃さんと藤原さんは同じ会社の同僚で、2人とも3日午後10時ごろ、「作業車を移動させてくる」と家族に告げて家を出て、日高川沿いにある小釜本地内 の会社所有の工場に向かったという。その後連絡が取れなくなり、現場へ向かう道路も一部が寸断されており、家族や消防らが捜していたところ、4日夕方、工 場近くと約1㌔離れた日高川で近所の人や自衛隊員らが2人の遺体を発見した。作業車を移動させている途中、濁流にのまれたのではないかとみられているが、 詳しいことは分かっていない。

 不明の男性は、同町田尻地内の日高川沿いの別荘にいて濁流にのまれたとみられている。マルイソウジさんとの情報もあるが、年齢も分かっておらず、まだ安否の確認が取れていない。

 ケガ人は御坊市で雨漏りを直そうとして天井から転落した男性1人がケガ、印南町で家屋の一部が倒壊して女性1人がケガをした。

 物的被害も大きく、日高川町で民家や別荘が根こそぎ濁流にのみ込まれたり、完全に水没するなどして、5日正午現在、分かっているだけで56棟が全壊。半 壊や床上・床下浸水は日高地方全域で200棟以上に及んだ。日高川町美山地区では橋が3本流され、中津地区では主要県道の崩落も相次いだ。崩土や路肩の崩 落、路面欠損など少なくとも10カ所以上で起こり、ほとんどが全面通行止め。冠水による通行止めも一時、日高川筋や切目川筋を中心に至る所で発生した。

 日高川町早藤の県道沿いの家が床上浸水した前田毅さん(79)は、「うちが浸水したのは昭和28年の7・18水害以来。ダムができたので大丈夫だと思っ ていたが」と肩を落とし、日高川町高津尾地内、役場中津出張所近くで商店を営む男性(71)は「中学1年のときに経験した7・18より少し水位は低いが、 あれ以来の大水害」とこわばった表情で話していた。

 県によると、8月30日の降り始めから4日夕方までの積算雨量は、日高川上流の日高川町八斗蒔で800㍉を記録しており、龍神村では通信機器の故障で詳 しい雨量は分からないが、1000㍉以上ともいわれており、記録的な豪雨に見舞われた。和歌山地方気象台では「地盤が緩んでいるので、土砂災害には引き続 き注意してほしい」と呼びかけている。

台風12号 日高川町で39世帯75人孤立
2011年9月 7日

壊滅的被害を受けた小釜本の安愚楽牧場
 台風12号で死者3人、 行方不明1人が出るなど甚大な打撃を受けた日高川町の被害状況が次第に明らかになってきている。 依然として各地で道路網が約30区間で寸断されている状況が続いており、 上初湯川、 寒川地区などで39世帯75人が孤立している。 ライフラインは水道、 電気とも川辺地区で一部復旧はしたものの、 6日朝現在約1800世帯で断水、 約1540世帯で停電が続いている。

 水道は川辺簡水施設の矢田地区や丹生地区で4日午後9時から復旧したが、 ほか8つの簡水施設が止まっており、 川辺の早蘇地区と中津、 美山全域の約1800世帯が断水しており、 給水車などが巡回している。 地区に水源がある飲料水供給施設の地区についてはほとんどの地域で水が確保されている。

 電気は、 川辺全域と中津地区の一部を除く地域で回復。 ほかの中津地区、 美山全域での復旧を急いでいる。 携帯電話については川辺全域で使用できるが、 中津、 美山地区では機種や時間帯によって通話ができない状況が続いている。

 美山地区の道路の寸断に伴う孤立は猪谷の10世帯20人、 妹尾の2世帯3人、 上初湯川地区の鉢で3世帯6人、 和田・中庄でいずれも4世帯8人、 初湯川の塔ノ島1世帯1人、 佐々木5世帯10人、 寒川地区の西の谷4世帯7人、 東谷3世帯7人、 滝の上2世帯4人、 小川1世帯1人で、 5日から大阪信太山駐屯地の自衛隊が100人体制で物資を調達している。 上田原は、 三十木―上田原間の県道が復旧され次第孤立状態が解消。

 県・町のまとめや本紙調査によると、 分かっているだけで建物被害は民家ほか、 工場や各施設なども含み全壊60軒、 半壊2軒、 床上浸水25軒などとなっているが、 床上浸水などの被害は5倍以上にも上ると見られる。 全壊は美山地区では皆瀬、 上越方の民家。 中津地区では田尻の八景苑のすべての別荘37軒、 船津坂本の別荘3軒、 佐井のきのこセンター、 小釜本の安愚楽牧場の牛舎5棟、 高津尾小原の商工会事務所などで、 牛舎を除くほとんどが流失による被害。 このほか川原河の製材工場が壊滅的な打撃 (詳細調査中) を受けたほか、 弥谷の鶏舎や和佐の豚舎へ浸水しブロイラー2万羽、 ブタ620頭が死亡、 松瀬の日高川漁協のアユ、 アマゴが流失 (詳細調査中)、 熊野川地内等の工場5社で損壊などの被害、 小原地内にあったグラウンドも消えた。 公共施設では小原のきのくに中津荘別館が床上浸水、 近くにあった温泉の湯元設備が流されたほか、 川原河のみやま保育園や川上診療所で床上浸水し、 診療所は急患のみの対応。 役場美山支所へも水が流れ込んだ。

 通行止めは、 美山地区では越方橋から国道424号につながるバイパスほか、 県道上初湯川皆瀬線の川上橋―美山大橋間200㍍、 町道川原河青木橋線の丸山橋―青木橋間500㍍、 椿山ダム湖周辺の町道栗の木桑の木線500㍍、 町道初湯川上初湯川線の佐々木―岡田間3㌔、 上初湯川皆瀬線の垣内原―和田間2㌔、 町道串本猪谷線の猪谷パークから上流へ200㍍など。 皆瀬地内では丸山、 青木など3本の橋も流失した。 中津地区の通行止めは町道大又岡本線の本田―小原間、 県道たかの金屋線の新あやめ橋から温泉館前、 中木集落からゴルフ場前までいずれも800㍍、 県道御坊中津線の坂野川橋から本川橋間、 下田原―上田原間いずれも1㌔、 小釜本橋―下田原橋間2㌔、 町道坂野川―姉子線の下田原地内1㌔など。 新あやめ橋も橋台付近が流され、 通行不能となっている。 川辺地区の通行止めは県道船津和佐線松瀬―和佐間、 松瀬―三百瀬間1㌔、 広川へ抜ける県道広川川辺線などとなっている。 いずれも復旧時期は未定。 川原河の山開センター前を終点とする御坊南海バス、 川辺地区でのコミュニティバスは運行を再開している