阿智胡地亭のShot日乗

日乗は日記。日々の生活と世間の事象記録や写真や書き物などなんでも。
  1942年生まれが東京都江戸川区から。

諏訪の「和算」文化紹介 諏訪市博物館   |     1日限りの清陵祭 縮まる心の距離        長野日報

2020年07月04日 | 諏訪便り

2020年7月4日   諏訪の「和算」文化紹介 諏訪市博物館

諏訪市博物館は4日から、和算の問題と解法、答を記した算額の特別展「諏訪大社上社下社の算額」を始める。下金子村(現諏訪市中洲)出身の和算家、伊藤定太(1842~1907年)と門弟たちが諏訪大社上社、下社に奉納した算額2面と、そこに掲載された計24問の図形問題を紹介し、先人の旺盛な知的好奇心を披露している。
市博物館によると、和算は江戸時代に発展した日本独自の数学で、研究者から寺小屋でそろばんを学ぶ庶民まで、多くの人が楽しんだ。当時の人々は難問が解けたことを神仏に感謝し、算額にして寺社に奉納。大勢の人が集う境内に掲げられるため、研究発表の手段でもあったという。
伊藤定太は武家に生まれ、13歳で上金子村(現諏訪市中洲)の後藤庄五郎の算塾に入った。同村の矢沢鶴五郎に和算を学び、高島藩に勤めた後、20歳のときに江戸の和算家、長谷川善左衛門弘に弟子入りした。大政奉還後は諏訪に戻り、農業の傍ら数学塾「皇洋普通数理学舎」を営み、諏訪大社に算額を奉納する。
算額は上社額堂と下社幣拝殿に掲げられていた。14問が記載された上社算額(縦64センチ×横437センチ)は1879(明治12)年2月に、10問が記された下社算額(縦68センチ×横313センチ)は68(慶応4)年9月に奉納された。今年3月に修復事業が完了したことを記念し、諏訪大社から借りて同館で特別公開した。
展示された算額は序文を定太が担当し、図形問題は上諏訪や下金子、豊田、宮川などの門弟が執筆した。関、中澤、五味、茅野、平林、矢花、河西、黒澤といった名前がある。会場では、算額の問題と解法の用紙を配布し、子どもが楽しめる和算も紹介。江戸時代の算術書「塵劫記」や、定太が出版した計算書も展示した。
同館の嶋田彩乃学芸員は「和算の文化が諏訪にもあったことを知ってほしい。じっくり問題を解きたい人のために問題用紙も用意しました。江戸時代の人たちが楽しんだ和算にぜひ挑戦してみてください」と話している。
10月4日まで。月曜休館。通常の入館料(一般310円、小中学生150円)で鑑賞できる。


2020年7月4日  1日限りの清陵祭 縮まる心の距離

諏訪清陵高校(諏訪市)は3日、第70回文化祭「清陵祭」を同校で開いた。

新型コロナウイルスの影響で一度は中止とし、代替行事を検討していたが、生徒の強い思いで新たに企画を練り直したこの日を「清陵祭」とした。一般公開はかなわず、日程や内容も縮小となったが、感染防止策に工夫を凝らし、1日限りの清陵祭を全力で楽しんだ。
祭りの幕開けは風船1000個を空に放つ「バルーンリリース」。コロナ禍でも楽しみを増やそうと特別に企画した。付属中学校を含めた全校生徒がグラウンドに集まり、1人1個の風船を手に持って一斉に飛ばした。生徒たちは空を彩る色とりどりの風船を見上げ、笑顔を輝かせていた。
人が密集しないよう対策は念入りに施し、学年ごとに時間を区切って会場を散らしたり、教室や体育館に人数制限を設けたりした。マスクの着用も忘れなかった。企画は盛りだくさんで、文化部によるステージ発表や作品展示、運動部などの対抗大縄跳びなどを実施。中庭には今年のテーマ「燐鶯」にちなんだ全校制作を飾った。
実行委員会を中心に生徒は6月の休校明けから急いで準備を進めてきた。渡邉孝太実行委員長(17)は「開催できてうれしい。(生徒同士の)絆を深めてほしい」。学友会の山岸昇玄会長(18)は「感染防止対策は大変だった。休校で楽しめる場が少なかったので皆で盛り上がりたい」と話していた。
感染防止のためイベントの会場数を増やしたため、生徒に限定して写真共有アプリ「インスタグラム」で各会場の様子を初めて生中継した。一般公開が中止だったことから保護者向けには後日、動画投稿サイト「ユーチューブ」へ文化祭の様子を撮影した動画を投稿する予定。

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父親や3人の伯父叔父や多数の従兄たちが卒業したこの諏訪清陵高校ー旧制諏訪中学にはずっと何となく親しみを感じている。
「釣りバカ日誌」の主人公「ハマちゃん」の相棒の「スーさん」の出身校という設定が可笑しい。
⇒Wikipediaから一部引用
鈴木 一之助(すずき いちのすけ)
 鈴木建設代表取締役社長。通称「スーさん」。経済連副会長に推されるほどの名経営者だが、温和な表情であるにも関わらず、創業からの幹部でも平然と切り捨てる情け知らずな鬼社長として恐れられている。
ハマちゃんと会社で偶然知り合い、ハマちゃんの釣りの弟子になった。その後、実は伝助の勤める鈴木建設の社長であることが明らかになったが、厳密には、伝助は鈴木建設に10年近くも勤めていながら、社長がスーさんだったということを全然把握していなかった。社長と分かる前は、伝助はスーさんのことを鈴木建設を定年退職した後の同社の嘱託社員(通称『上の階』)だと思っていたので、その前後でハマちゃんの態度がまったく変わらなかった。そのために一之助は驚くとともに改めて感心したようである。ただし、労使の関係や一之助のジジ恋を廻って揉めた事もあり、何度か絶交寸前にまでなったこともある。しかしハマちゃんのことは心から大切に思っており、何度か伝助が遭難沙汰を起こした際には「幾らお金がかかっても構わん」や「陸海空3自衛隊の出動も要請する!」と発言したり、伝助がブラジルで誘拐された際には3億円の身代金を出そうとしたり、挙句の果てにはハマちゃんが大統領特別顧問と釣りに行くのを阻止するために故意に会議を難航させたりするなど、ハマちゃん絡みだととんでもないことを仕出かすこともある。
当の業界内では敏腕の名社長としても知られ、会社では、鬼社長と呼ばれるほど厳しく、己を過信しすぎるあまり独裁経営に走ることが多く、特に旧邦栄建設の社員達からは反感を買っている。しかし、幹部の更迭は平然と行うものの、社員想いの一面もあり、リストラを極度に嫌う。社員に対しては基本的に敬語で話し、身内など一部除けばほとんど敬語で話している。ただし、実写版ではほとんどタメ口で話している。
ハマちゃんとのプライベートの付き合いを大事にしたいあまり、昇進リストに×を付けて伝助をヒラ社員のままにしたことがあり、このことで一時期ハマちゃんは『×(ペケ)社員』と勘違いされ、一部で呼ばれてしまったり、伝助を四国へ飛ばし激昂した勢いで緊急役員会議を招集してしまい、「風林火山(読んでいた本のタイトル)」と咄嗟に叫んでしまい、混乱を招くことがしょっちゅうある。工学博士。諏訪中(現・諏訪清陵高校)出身(43期生)で、みち子の実父の後輩。引用ここまで。

諏訪清陵高校の校是は旧制諏訪中学から引き継ぎ次の言葉を校是としている。
「自反而縮雖千萬人吾往矣
みずからかえりみてなおくんば、せんまんにんといえどもわれゆかむ


自分自身を反省して正しいと確信できたら、たとえ相手が千万人であっても自分は恐れずに立ち向かって行く
[出典 孟子公孫丑上] 
 

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民間企業の電通マンが首相官邸に入り込み国の名で日本人を洗脳しているとは知らなんだ・・・  |    首相官邸ネット発信「中の人」は電通マン 前任者も    毎日新聞

2020年07月04日 | SNS・既存メディアからの引用記事

一部引用・・・首相官邸のSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)運営を担う4人の内閣官房「広報調査員」のうち1人を広告大手の電通から受け入れていることが判明した。前任者も電通からの受け入れで、安倍政権のネット情報発信には電通が深くかかわっているようだ。広報調査員とは、どんな仕事なのだろうか?【大場伸也】 

事実上の「電通枠」か? 
 内閣官房の内閣広報室によると、広報調査員は2001年8月27日に小泉純一郎首相(当時)が決定した「内閣広報室に広報調査員を置く規則」により置かれた。これまでの総人数は確認できないが、現在は4人が発令され、うち電通から1人を受け入れているという  画像クリックで本文に飛びます。

 

 

 

文書入手・実名証言 電通が幽霊法人トップに1000万円を“還流”の疑い   文春オンライン
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