ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

特別対談・詩を読む、時を眺める(続)

2009-12-22 14:36:09 | Book
 再度書いておきます。このタイトルの「時を眺める」という認識は、老作家「大江健三郎」と「古井由吉」とが繰り広げる老年の明晰な視線が交錯するする充実した対談にふさわしい。対談が辿る筋道は「古井由吉」の本「詩への小路」です。
 

 『死んで蘇るというのは言葉においてこそ言えるんじゃないかと。「はじめに言葉ありき」と言いますが、これを僕は「1度言葉が滅びたあとの復活のはじめ」ととるんです。逆に言えば、1度死に瀕したことがなくては、言葉は成り立たないのではないかと。その中でも、言葉が死ぬ際まで擦り寄っているのが「マラルメ」だと思うのです。』

 『壮年のうちは、築いたり固めたり構成したりということに頭が向かいます。老年になると違う。60歳の頃から、崩れる危険の中で物事をすすめるところに、仕事の場を見つけてきました。おかげで書くことに対する疑いがなくなったというのではなく、書く上では疑いそのものが生産的だとよくわかりました。』


・・・・・・「古井由吉」の言葉より。



夜の歌  フリードリヒ・ヘッペル

魂よ、あの者たちを忘れるな
魂よ、死者を忘れるな
 (中略)

そして嵐は死者たちを怪異の類ともども
果てしない荒野へと追い立てて行き
その境にはもはや生命もなく
解(ほど)かれたもろもろの力の
闘いがあるのみなのだ


 ここでまた「古井由吉」は「解(と)かれた」ではなく「解(ほど)かれた」と訳しています。「死」と「再生」が隣合っているこの部分を「とかれた」ではなく「ほどかれた」と訳したことに対して「大江健三郎」は「とても創造的だ。」と言っておられます。ここで私的な気付きではありますが、「詩」という営為そのものがオルフォイスの神話のように「死」と「再生」とを永い歴史のなかで繰り返したきたのではないでしょうか?



オルフォイスへのソネット第一部・26

しかし神々しい存在よ、最後にいたるまでも鳴り響く者よ、
しりぞけられたマイナデスの群れに襲われたとき、
彼女らの叫喚に秩序をもって響きまさったうるわしい存在よ、
打ち毀す者たちのさなかから あなたの心高める音楽が立ち昇ったのだ。

あなたの頭と竪琴を打ち毀すことのできる者はいなかった、
いかに騒ぎ 足掻こうとも。 そして彼女らが
あなたの心臓をねらって投げつけた鋭い石はみな
あなたに触れると 柔らいでそして聴く力を授かった。

ついに彼女らはあなたを打ち砕いてしまった、復讐の念にいきりたち。
しかしそれでもあなたの響きは 獅子や岩のなかに、
樹々や鳥たちのなかに留まった。そこでいまなおあなたは歌っている。

おお 失われた神!無限の痕跡よ!
敵意がついにあなたを引き裂いて 偏在させたからこそ、
私たちはいま 聴く者であり、自然のひとつの口なのだ。

 (田口義弘訳)

 *   *   *

 引用の多い文章で、真に恐縮しておりますが、このお2人の対談を超える言葉をわたくしは持ちえませんでした。ひたすらお2人の言葉をこの掌からこぼすまいと必死でした。