ふくろう日記・別室

日々の備忘録です。

オルフォイスへのソネット第一部・25

2009-12-06 02:14:05 | Poem
しかしおまえを 名を知らぬ花のように
私が知っていたおまえを、今この心に
もういちど呼び起こし 彼らに示そう、うばい去られた少女よ、
うち克ちえぬ叫びの美しい遊び友だちよ。

はじめは踊り子、けれどもふとその肢体にためらいをたたえて、
彼女は立ちどまった、その若さが青銅の像に鋳られてゆくかのように、
悲しみそして耳を澄ませつつ――。するとあの力ある高き者らの所から
音楽が落ちてきたのだ、変化した彼女の心のなかに。

病が近づいていた。すでに影たちに領有されて、
血は暗くせきたてられ、しかし疑念をつかのまのことのようにみせ、
みずからの本然の春のなかへ湧きあがった。

たびかさね冥暗と崩落に中断されつつ、
それはこの地上の光に赫いた。ついに恐ろしい連打のあげく、
あの慰めなく開いた門をくぐってゆくときまで。

 (田口義弘訳)


 この「オルフォイスへのソネット」そのものが、「ヴェーラ・アウカマ・クノープのための墓碑として書かれる」と副題として明記されてあります。特にこの「第一部・25」は、その少女「ヴェーラ」の思い出のために書かれています。「ヴェーラ」は舞踏を学び、才能ある美しい少女でした。しかし病魔に襲われて「舞踏」をあきらめ、「舞踏」から「音楽」へ、さらに「絵画」へと果敢に生きて・・・・・・しかし19歳で夭逝しました。1説によれば、その病魔とは、リルケと同じく「白血病」だったようです。この病は長く苦しみに満ちたもののようです。

 リルケが「ヴェーラ」に会ったのは、彼女が子供だった頃に数回会っただけの関係で、その後の「ヴェーラ」のいきさつはすべて母親の「ゲルトルート」から送られた手記から知ったことになります。

 「ヴェーラ」が「舞踏」から「音楽」へと移行したということは、彼女は踊ることから聴くことの新しい意味を見出したことになります。「ヴェーラ」に音楽が落ちてきたということですね。誰から?それは「オルフォイス」でせう。

 キリストもそうであったように、「オルフォイス」の死も、ひときわ激しい事件としての死であり、それゆえに今なお生きています。「ヴェーラ」の死もまるでリルケの死の予兆のように訪れたのではないのか?