今日は母の師であられた、中平南谿先生の作品をご紹介します。
中平先生のお人柄そのもののようなことば「天衣無縫」。
これは、昭和58年12月銀座鳩居堂での傘寿記念展での作品。
明治36年(1903年)生まれでいらっしゃるので、83歳。
当時門下生だった母と、中平先生の作品に惚れ込んでいた父が
会場でビビビと来た作品だったそうで、
とても80前後とは思えない、唯我独尊、自由闊達、天馬行空のような爽やかさ。
以前ある方より、南谿先生のお名前の谿の文字は、お若い頃は下が揃っていたけれど、
ある頃から谷が右下がりの造形になったと。
なので、名前を見るといつの時代の作品かがわかる、と。
こちらが揃っている頃。「梨花雪飛」
こちらは右下がり。「白首相対」
なるほど、作品の気配も少し違っていますね。
今回の「天衣無縫」は右下がりですが、作品は揃っている頃の雰囲気のような気がします。
作品を拝見すると、その人の人となりや歴史が見えてくるというのは、
鑑賞者の秘かな悦びでもあります。
中平先生は、書海社設立者のお一人 松本芳翠の一門でいらっしゃり、
母もその頃書海社で書を学ばせて頂いていたのでして。
作家のルーツを探すと意外な顔を見つけられたり、惹きつけられる世界を探っていくと
不思議と繋がるご縁があったりするのでして。
ふと南谿先生のご子息、写真家の中平卓馬氏を検索していたらこんな記事が。
そうか・・卓馬氏は寺山修司とも親交があったようで。
若かりし頃、父は寺山修司とラジオ番組を作っていたそうで。
そして私がいつか白塗りで舞台に立つことを恐れた父は、当時父の会社の目の前にあった
天井桟敷の芝居小屋から私を遠ざけていたようですが、
私というと、大学生の頃、父の知らぬところで寺山修司の世界にはまっていたのでして。
人は、どこかで自分と繋がるものを、魂の部分で探しているのかもしれないなぁと、ふと
今回、20代位の若い青年が、中平先生の書を求めて蘭秀会書展にお越し下さり、
改めて、中平先生の書の魅力を掘り起こしてみますと、また新しい発見もたくさんありました。
書は人なり。
書の魅力の神髄はそこにあるのかもしれませんね
次回は皆さまの作品と、花々をご紹介します。