心の免疫力~書とことばから

もっと暮らしに書やARTを~
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求めて~ by 沙於里

2010 書TEN レポート その4

2010-12-10 | 書TEN
                             「笑」

今日はまた「笑」の作品をば。

これは、黒いケント紙に青のアクリル絵の具とチューブの胡粉で、シャッシャッと。
そこに、書き損じを取ってあった紙に、爪楊枝で書いた「笑」を貼ったもの。

折本に仕上げた「四十七の笑」の中のひとつ。
最初は同じ大きさの紙にいろんな「笑」を、と思ったのだけど、
線も書風も引き出しが足りないゆえ、色や紙に助けを求めたわけでして 

初日に、出品者の木原氏がこの「笑」の折本を、ずずいとご覧下さり
「木簡の線に似ていますね」と。

「あ。私、木簡大好きなんです! 木簡ばかり書いてます」
「うんうん、木簡の線ですね、僕も木簡好きです」

なんだか親(木簡のことね  )を褒められたような?嬉しい気持ち 

それでも、木簡の線ばかりじゃ飽きちゃうので、
あったかい線や華奢な線やらを探しつつ 

同じく出品者の岡村さんにも、「僕はこれが好きかな」って言って頂けて 


「書はこうあるべき」とか「書は美術か芸術か」とか「抽象か文字か」とか
実はどっちでも何でもいいって、最近思う。

そんなことは見た人が感じるものであって、その議論や目的が先にあったら
裸の書は書けないような気がする。

表現は、もっともっともっともっと自由であっていいんだと思う。
その枠組みに守られたり、あぐらをかいている中での表現では
人をびっくりさせることなんてできないって思う・・なんて 

もちろん書家という立場、役割はあるのでせう。
書家は書の古典、書法を学び、そこから己の書を追求し、
文字にしろそうでないにしろ、「書」としての表現者であるべき(?)なのかもしれない 

ところで、私は書家ではないし、書家になりたいとは思ってなくて 

「ではない」といえる程のものも到底持っていないけれど
まぁ、縛られることが一番苦手な我が儘な人間ゆえに、
書家なんだから、こうあらねば的議論に加わりたくないというか。

私にとって書は目的ではなくて、書は自分探しのパートナーであるような。
そして同じように、誰かにとっても書が、そんなきっかけになればいいなぁって思ってる。
ちょっとづつ、そんなお手伝いができたらなぁって思ってる。

それが、私の師への、そして大好きな木簡への恩返しになればなぁと 

そんなわけで、今回の書展の私の挑戦の三つ目は、「四十七の笑」。

たった一つの文字から生まれる表現の可能性は無限。
たった一人の人間の可能性も無限。

古道具とのコラボが舞台なら、二つ目のそれは衣装、そして三つ目は役者。
そう、書の表現はひとつの舞台作品であるような 


 『2010 書TEN』 は明日までとなりました。
今日は午後2時~会場におりますので、お越し頂けましたらお声をかけて下さいませね。
コメント (2)
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