帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百六十一)(三百六十二)

2015-08-25 00:21:18 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄



 平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

万葉集和歌                        順

三百六十一 ひとりぬるやどには月の見えざらば こいしきときのかげはまさらじ

万葉集の歌に和する歌 (源順・清原元輔らと共に後撰集の撰進と万葉集の訓読に携わった人)

(独り寝る、女の・宿には、月が見えないので、恋しき時の、壮士の・影は不在なのだろう……独り寝る、や門には、月人壮子が見えないので、乞いしき時の、陰は増さらないだろう)

 

言の戯れと言の心

「やど…宿…言の心は女…屋門…夜門…おんな」「と…戸…門…身の門」「月…月人壮士・月人壮子・月よみをとこ…月は万葉集で、この様に詠まれてある。月の言の心は、男・おとこ…万葉集以前の月の別名は、ささらえをとこ」「見…目で見ること…対面すること…覯…媾…まぐあい」「こいしき…恋しき…乞いしき…求めたい」「かげ…影…(男の人)影…月光…陰…おとこ」「まさらじ…座さらじ…いらっしゃらない…不在である…増さらじ…(光や物の体積などが)増さらない」「じ…打消しの推量の意を表す」

 

歌の清げな姿は、独り寝の女の様子。

心におかしきところは、独り寝の夜門のありさま。

 

万葉集の恋歌は、運命と言うのか、大きな力に引き離されて、愛する人に逢えない恋を詠んだ歌が多い、人麻呂歌集出の歌、それに和すよみ人知らずの歌、防人たちの歌、七夕の歌も然りである。そのような歌と調和する逢えない恋の歌を詠んだ。

 

 

つきのあかうはべりけるよ、人まちはべりける人のよみ侍りける

        読人不知

三百六十二 ことならばやみにぞあらまし秋のよの なぞ月かげの人だのめなる

月の明るかった夜、人を待っていた人が詠んだ、 (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(おなじことなら、月の無い・闇であればなあ、秋の夜の、なぜ、月影が天頼みなの・彼が来ないのに月など見たくない……できることなら、尽きのない・中止であればいいのに、飽き満ち足りた夜の、なぜ、尽き人おとこのかげり、わたしの・思い通りにならないの・他人頼みなのよ)

 

言の戯れと言の心

「ことならば…おなじことなら…できることなら」「やみ…闇…月の無い夜…月人壮士の不在…止み…中止する(だけ)…止める(だけ)」「ぞ…一つのことを強く指示する意を表す」「秋…季節の秋…飽き…飽き満ち足りのころ」「月かげ…月影…月光…月人壮士の影…尽き陰」「人だのめ…他人頼み…自分の思い通りにならないでがっかりすること…人任せ…自分には何もできない…天任せ」

 

歌の清げな姿は、恋人来ず、独り寝の女に、こうこうと照る月は気の毒。

心におかしきところは、貴身の尽きの陰り、なぜ、君にも私にも、何ともならないのよ。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

平安時代の言語観と歌論について述べる (以下、再掲)

 
 紀貫之は、「言の心」を心得る人は、和歌のおかしさがわかり、古今の歌を「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうか・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取ったようである。

 清少納言は、「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(同じ言葉でも、聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの、それが我々の言葉である)」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。枕草子に、そのような言葉を利用して「をかし」きことを数々記している。それは、和歌の方法でもある。国文学の枕草子の読み方では、皮肉なことに、この一文をも「同じ言葉でも、性別や職域の違いによって、耳に聞こえる印象が異なる」などと聞こえるようである。

藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた言葉・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れる」と述べた。顕れるそれは、言わば煩悩であると看破した。

 国文学が曲解し無視した、上のような言語観に立って、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという生々しい心が顕れる。

中世に古今和歌集の「歌言葉の裏の意味と心におかしきところ」が秘伝となったのである。やがて、その相伝や、口伝も埋もれ木となってしまった。秘伝の解明が不可能ならば、それ以前に回帰すればいいのである。近世の国学と国文学は、平安時代の言語観と歌論とを無視して、全く異なる文脈にある。その人々の創り上げた和歌解釈やその方法は、根本的に間違っている。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百五十九)(三百六十)

2015-08-24 00:39:20 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄



  平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

いまはとはじといひ侍りける女のもとにつかはしける    源巨城

三百五十九 わすれなんいまはとはじとおもひつつ ぬるよしもこそゆめにみえけれ

最後だ、訪れることはないといった女のもとに届けた   (源巨城・拾遺集は、よみ人知らず・男の歌として聞く)

(忘れてくれ・我は忘れるつもりだ、最後だ、訪うつもりはないと思いつつ寝た、いきさつなのに、貴女を・夢に見たことよ……見捨てよう・そうしてくれ、井間は・最後だ、おとづれるつもりはないと思いつつ、寝た・濡れた、次第なのだ、それが・夢に見えたことよ)


 言の戯れと言の心

「わする…忘れる…(恋の)記憶をなくす…別れる…見捨てる」「なん…事態実現を強く希望する意を表す…事態実現への強い意志を表す」「いまは…今は…臨終…最後…井間は…おんなは」「ぬる…寝る…寝た…濡る…涙に濡れた…汝身唾に濡れた」「よしも…由しも…いきさつなのに…次第なのに」「こそ…強く指示する意を表す」。

 

歌の清げな姿は、恋は思案の外であった。不都合な相手と、恋に落ちたようである。

心におかしきところは、愛着し執着するので、井間は見捨てられなかった。

 

如何なる事情が有って、別れようとしたのかは不明のまま、男の思案と、おとこの情念が、聞き手に伝わる。

 

 

題不知                        読人不知

三百六十  むば玉のいもがくろかみこよひもか 我がなきゆかになびきいでぬらん

題しらず                      (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(むば玉の妻の黒髪、今宵もか、我れ無き寝床に、靡き出て・倒れ伏し出て、寝ているのだろう……むば玉の妻のくろ下身、今宵もか・小好いもか、我が、泣き・感極まりなみだ流し、寝床に、たおれ伏し出でてしまった、ようだなあ)

 

言の戯れと言の心

「むば玉の…植物ひおうぎの黒い種子の…夜・黒などの枕詞」「いも…妹…妻」「くろかみ…黒髪…くろ下身…陰」「こよひもか…今宵もか…小好いもか…小好い程度か…感極まらずか」「なき…無き…泣き…汝身唾を流し」「なびき…靡き…(雲などが)横に流れる…(風などのために)倒れ伏す」「いでぬ…出でた…なみだ出てしまった…はみ出てしまった」「ぬ…寝…ねる…完了した意を表す…てしまった」「らん…らむ…(現在の事実を)婉曲に又は詠嘆的に述べる…であるなあ」

 

歌の清げな姿は、独り寝の妻の様子を推量した。

心におかしきところは、おとこ独り先立ったありさまを詠嘆的に述べた。

 

本歌は、万葉集巻第十一「正述心緒」(誇張や比喩無しに心持ちを正述する歌)、よみ人知らずの歌群にある。

夜干玉之 妹之黒髪 今夜毛加 吾無床尓 靡而宿良武

(ぬば玉の妻の黒髪、今夜もか、わが無き寝床に、靡いて・倒れ伏して、寝て居るのだろう……ぬば玉の可愛い妻の黒髪、今夜もか、我がなきむなしくなった、あの・寝床に、泣き・伏して、寝て居るのだろう)

 

「無…無き…むなしき…亡き…泣き」「宿…泊る…寝る…女」などと戯れていたという証明は出来ない。又戯れて居なかったという証明もできない。ただ平安時代の人々は、言葉の意味は、人の理性的判断などとは無関係に戯れることを知っていた。なので、そうと心得るしかない。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

平安時代の言語観と歌論について述べる

 
 紀貫之は、「言の心」を心得る人は、和歌のおかしさがわかり、古今の歌を「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうか・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取ったようである。

 清少納言は、「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(同じ言葉でも、聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの、それが我々の言葉である)」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。枕草子に、そのような言葉を利用して「をかし」きことを数々記している。それは、和歌の方法でもある。国文学の枕草子の読み方では、皮肉なことに、この一文をも「同じ言葉でも、性別や職域の違いによって、耳に聞こえる印象が異なる」などと聞こえるようである。

藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた言葉・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れる」と述べた。顕れるそれは、言わば煩悩であると看破した。

 国文学が曲解したり無視した、上のような言語観に立って、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという生々しい心が顕れる。

中世に古今和歌集の「歌言葉の裏の意味と心におかしきところ」が秘伝となったのである。やがて、その相伝や、口伝も埋もれ木となってしまった。秘伝の解明が不能ならば、それ以前に回帰すればいいのである。近世の国学と国文学は、平安時代の言語観と歌論とを無視して、全く異なる文脈にある。その人々の創り上げた和歌解釈やその方法は、根本的に間違っている。


 


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百五十七)(三百五十八)

2015-08-22 00:38:05 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄



  平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 
          
(題不知)                     (読人不知)

三百五十七 あふことはゆめのうちにもうれしくて ねざめのこひぞわびしかりける

(題しらず)                     (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(逢うことは、夢の中でも嬉しくて、寝覚めの、うつつの・恋ぞ、逢えず・侘びしいことよ……合うことは、夢の中でも、嬉しくて、寝覚めの・根冷めの、乞い求めぞ、物足りず心細いことよ)

 

言の戯れと言の心

「あふ…逢う…合う…和合する」「うれしく…嬉しく…悦ばしい…快い」「ねざめ…寝覚め…眠りから覚めること…根冷め…情熱なくしたおとこ」「こひ…恋い…乞い…求め」「ぞ…強く指示する意を表す(こひが一義な言葉ではないことを示している)」「わびし…もの足りない…さびしい…心細い…興ざめだ」「かりける…(わび)しくありける…(わびし)かったことよ…狩りける…猟りだったことよ…むさぼりあさりだことよ」

 

歌の清げな姿は、恋いする夢は快楽、現実の恋は思うようにならない。

心におかしきところは、夢では快楽、ね冷めれば、求めても興ざめ。

 

 
         
(題不知)                     (読人不知)

三百五十八 わすれじよゆめとちぎりしことのはは うつつにつらきこころなりけり
          
(題しらず)                    (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(ゆめゆめ見捨てはしないよ、約束した言葉は、現実には無情という意味だったことよ……忘れじよ・見捨てないだろうよ、夢のように契った言葉は、現実に、無情でどうしょうもない、君の心だった・貴身の情だったわ)


 言の戯れと言の心

「わすれじ…忘れじ…記憶をなくさないだろう…見捨てないつもり…めんどう見つづけるつもりだ」「じ…打消しの推量を表す…打消しの意志を表す」「見…覯…媾」「ゆめと…謹んで…夢と…夢と思って…夢のように」「ちぎり…契り…約束…交情」「ことのは…言の葉…言葉…事の端々」「うつつに…現に…現実に…本意では…本心では」「つらき…心苦しい…我慢ならない…無情で嫌だ」「こころ…心…言の心…意味…(君の)心…(貴身の)の情」

 

歌の清げな姿は、夢のように約束した言葉は、現実には無情で嫌な心だった。

心におかしきところは、忘れはしないよ、謹んで契った言葉は、現実には、直ぐに見捨てる情だった。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

平安時代の言語観と歌論について述べる。


 紀貫之は、「言の心」を心得る人には和歌のおかしさがわかり「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうかな・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取った。

 清少納言は、「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(同じ言葉でも、聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの、それが我々の言葉である)」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。枕草子は、そのような言葉を利用して「をかし」きことを数々述べている。それは、和歌の方法でもある。国文学の枕草子の読み方では、この一文を「同じ言葉でも、性別や職域の違いによって、耳に聞こえる印象が異なる」などと解く。

藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れる」と述べた。顕れるそれは、言わば煩悩であると看破した。

 国文学が曲解したり無視した、上のような言語観に立って、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという生々しい心が顕れる。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百五十五)(三百五十六)

2015-08-21 00:04:06 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って聞く。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首


 

国用がむすめを藤原知光がまかりさりてのちかがみをかへしつかはすとて

かきつけける                        をんな

三百五十五 かきたえておぼつかなさのますかがみ みずは我が身のうさもまさらじ

藤原国用の娘を、藤原知光が通わなくなって去った後に、贈られた鏡台を返して遣わすということで、書き付けた、

                                                   (をんな・藤原国用の娘・清少納言らとほぼ同じ年代か)

(彼来絶えて、ぼんやり見ている真澄の鏡、この贈物・見なければ、我が身の憂さも、増すことはないでしょう・返却する……掻き絶えて、頼りなさの増す彼が身、見なければ、わたしの身のむかつきも、むなしさも、これ以上・増さないでしょう)

 
   
言の戯れと言の心

「かきたえて…彼来絶えて…彼気絶えて…彼器絶えて…掻き絶えて…こぎ絶えて…(さすがに公の拾遺集では変更され)影絶えて」「おぼつかなさ…ぼんやりとしたさま…つかみどころのないさま…頼りないさま」「ますかがみ…ます鏡…真澄の鏡…増す彼が身…嵩増すおとこ」「みずは…(鏡を)見なければ…物を見なければ」「見…覯…媾…まぐあい」「うさ…憂さ…嫌な感じ…むかつくさま」「まさらじ…増しはしないだろう」「じ…ないだろう…あるまい…打消の推量の意を表す」

 

歌の清げな姿は、男ときっぱり決別する歌。

心におかしきところは、彼のおぼつかない物と贈り物とも決別するところ。

 

この歌を、このように聞こえる文脈に入れば、以前にも書いたことだけれども、清少納言枕草子(異本一八)の「かゞみは八寸五ふん」という、短い諧謔を、(鏡は直径八寸五分・並み?……彼の身は長さ八寸五分・大きい?・小さい?)と聞いて「をかし」と笑うことができるだろう。


 貫之は「鏡」に字義以外の意味があることを教示するためだろう、土佐日記(二月五日)に、次のようになことを書いた。


 風が吹いて乗っている船は漕げども漕げども進まない。むしろ退いてゆく。船頭の言う通り住吉の明神に幣を奉るが、風波は止まない。幣ではだめだ、海神(女)の「嬉しと思う物をたてまつり給え」という。「如何はせん」と、大切な一つしかない「鏡…彼が身」を「海…神…言の心は女」に、うちはめたところ、うちつけに、海(女…憂み)は鏡の表面のようになった。かみ(神・女)の心を見てしまったことよとある。

「かみ…神…髪…女」「うみ…海…産み…女」と心得ていれば、「かがみ」にも、鏡以外に何の意味(言の心)が有るか察しがつき、心得ることができるだろう。

 

 

題不知                        読人不知

三百五十六 ゆめにさえ人のつれなく見えつれば ねてもさめても物をこそおもへ

題しらず                      (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(夢にさえ、あの人が冷淡に見えたので、寝ても覚めても、あれこれと思い悩む……夜の夢で、さえ・小枝、あの人が無情に情けを交わしたので、寝ても覚めても、物をこそ、心配している)

  
    
言の戯れと言の心

「ゆめ…将来の夢…寝て見る夢」「さえ…追加・添加の意を表す…小枝…小肢…おとこ」「さ…小…美称…蔑み」「見…覯…媾…まぐあい」「物を…あれこれと…言い難きことを…物お…おとこを」「こそ…強く指示する意を表す」「おもへ…思ふ…考えている…恋いしている…心配している…哀しんでいる」

 

歌の清げな姿は、冷淡にされた夢を見て、心配し哀しく思う、女の恋心。

心におかしきところは、小枝が、夢のように儚く、心細く感じたので、物をあれこれ心配する女心。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。

 

平安時代の言語観と歌論について述べる。


 紀貫之は、「言の心」を心得る人には和歌のおかしさがわかり「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうかな・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取った。

 清少納言は、「聞き耳異なるもの(聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの)、それが我々の言葉である」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。皮肉なことに、今の国文学の枕草子の読み方では、このようには聞こえず、全く別のありふれた意味に聞こえている。

藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れると述べた。それは、言わば煩悩であると看破した。

 国文学が曲解し無視した、上のような言語観に立ち、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという奥深い心があることがわかる。


帯とけの拾遺抄  恋歌番外 七夕の歌(古今集)

2015-08-20 00:04:48 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄 
                              恋歌番外 七夕の歌(古今集)


 

今日八月二十日は、旧暦の七月七日、七夕の日である。七夕にちなんで、古今集の七夕の歌を聞く。

 

古今和歌集、巻第四秋歌上に、七夕の歌は十首並んでいる。他に巻第十八雑歌上に一首ある。

 

 

題しらず                   よみ人しらず

秋風の吹にし日より久方の あまのかはらにたたぬひはなし

題しらず                  (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(秋風が吹いた日より、ひさかたの天の河原で、天の川渡る時を待ち・立ち出ぬ日はない……心に・飽き満ち足りた風が吹いた日より、久堅が、吾間の彼腹に、勇み・立たぬ日は無い)

 

「秋風…季節の秋の風…飽き風…心に吹く飽き満ち足りた風」「久方の…枕詞、天や月などにかかる…戯れて、久堅、久しく堅牢」「の…所在を表す…主語を示す」「あまのかはら…天の河原…彦星が出立する所…職女星が立待ちする所…戯れて、吾間の彼女の腹」「間…ま…女」「たたぬひはなし…立たない日はない…いつも立っている」。

 

 

寛平の御時后宮歌合の歌         藤原おきかぜ

契剣心ぞつらき織女の 年にひとたびあふはあふかは

寛平の御時后宮歌合の歌        (藤原興風・古今集に十七首載る・撰者たちとほぼ同じ年代、身分の人)

(契ったのだろう心ぞ、辛く苦しい織姫が、一年に一度逢うは、逢うかは・逢うといえるのか……そのように・約束したのだろう、剣のような・きれる冷徹な、心ぞ、無情なたなばたつ女が、としにひとたび、逢うは合うかは・和合なるのか)

 

「契…約束…逢瀬…交情」「剣…両刃のつるぎ…きれものの感じ…解りの早い…冷徹な感じ…けん…けむ…たのだろう…過去のことを推量する意を表す」「つらき…堪えられない…心苦しい…不人情である…無情である」「年…とし…疾し…早過ぎるさま…おとこのさが」「ひとたび…一度…一過性…おとこのさが…二合いは容易ではない」「あふ…逢う…合う…合体…和合」。

 

 

なぬかのよのあか月によめる        源むねゆきの朝臣

今はとてわかるゝ時はあまの河 わたらぬさきに袖ぞひちぬる

七日の夜の暁に詠んだ  (源宗于朝臣・貫之が土佐の国から帰京したころ右京大夫。百人一首に冬歌がある)

(今年はこれで・最後だねと、別れる時は、天の河、渡らぬ先に、涙で・袖が濡れてしまう……井間は・これで最後と、離れる時は、あまの川、つづかぬ先に、身の・端ぞぬかるみ濡れる)

 

「今は…臨終…最後の一時…井間は」「井・間…言の心はおんな」「あま…天…女」「河…川…言の心はおんな」「わたらぬ…(まだ川を)渡らない…しつづけない」「さき…先…(時間的に)前…ものの先端…おとこ」「に…時に…のために」「袖…端…身の端」「ひち…泥…ぬかるみ…ひつ…水につかる…濡れる」「ぬる…ぬ…完了した意を表す…濡る」。

 

源宗于は光孝天皇の孫。人の妻との不倫の恋ながら、見果てぬ夢の恋、逢わずして今宵あけぬる恋や、再び逢い難き恋を経験した人。

 

 

やうかの日よめる                みぶのただみね

けふよりは今こむ年のきのふをぞ いつしかとのみまちわたるべき

八日の日に詠んだ  (壬生忠岑・古今集撰者の一人)

(今日よりは、今に来るだろう年の、昨日をぞ、何時かとばかり、待ち続けるのだろうか……京・感の極み、よりは、井間にくる、疾しの・一瞬の、貴の夫おぞ、いつかとばかり、待ち続けなければならないのか・織姫よ)

 

「けふ…今日…きゃう…京…山の頂上…感の極み」「今…いまに…井間に」「井・間…言の心は女」「年…とし…疾し…早過ぎ…一瞬…おとこのさが」「きのふ…昨日…貴の夫…貴身」「べき…べし…推量の意を表す…予定の意を表す…義務の意を表す」。

 

 

原文は、古今和歌集 新日本古典文学大系 岩波書店 による。