帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百五十九)(三百六十)

2015-08-24 00:39:20 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄



  平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

いまはとはじといひ侍りける女のもとにつかはしける    源巨城

三百五十九 わすれなんいまはとはじとおもひつつ ぬるよしもこそゆめにみえけれ

最後だ、訪れることはないといった女のもとに届けた   (源巨城・拾遺集は、よみ人知らず・男の歌として聞く)

(忘れてくれ・我は忘れるつもりだ、最後だ、訪うつもりはないと思いつつ寝た、いきさつなのに、貴女を・夢に見たことよ……見捨てよう・そうしてくれ、井間は・最後だ、おとづれるつもりはないと思いつつ、寝た・濡れた、次第なのだ、それが・夢に見えたことよ)


 言の戯れと言の心

「わする…忘れる…(恋の)記憶をなくす…別れる…見捨てる」「なん…事態実現を強く希望する意を表す…事態実現への強い意志を表す」「いまは…今は…臨終…最後…井間は…おんなは」「ぬる…寝る…寝た…濡る…涙に濡れた…汝身唾に濡れた」「よしも…由しも…いきさつなのに…次第なのに」「こそ…強く指示する意を表す」。

 

歌の清げな姿は、恋は思案の外であった。不都合な相手と、恋に落ちたようである。

心におかしきところは、愛着し執着するので、井間は見捨てられなかった。

 

如何なる事情が有って、別れようとしたのかは不明のまま、男の思案と、おとこの情念が、聞き手に伝わる。

 

 

題不知                        読人不知

三百六十  むば玉のいもがくろかみこよひもか 我がなきゆかになびきいでぬらん

題しらず                      (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(むば玉の妻の黒髪、今宵もか、我れ無き寝床に、靡き出て・倒れ伏し出て、寝ているのだろう……むば玉の妻のくろ下身、今宵もか・小好いもか、我が、泣き・感極まりなみだ流し、寝床に、たおれ伏し出でてしまった、ようだなあ)

 

言の戯れと言の心

「むば玉の…植物ひおうぎの黒い種子の…夜・黒などの枕詞」「いも…妹…妻」「くろかみ…黒髪…くろ下身…陰」「こよひもか…今宵もか…小好いもか…小好い程度か…感極まらずか」「なき…無き…泣き…汝身唾を流し」「なびき…靡き…(雲などが)横に流れる…(風などのために)倒れ伏す」「いでぬ…出でた…なみだ出てしまった…はみ出てしまった」「ぬ…寝…ねる…完了した意を表す…てしまった」「らん…らむ…(現在の事実を)婉曲に又は詠嘆的に述べる…であるなあ」

 

歌の清げな姿は、独り寝の妻の様子を推量した。

心におかしきところは、おとこ独り先立ったありさまを詠嘆的に述べた。

 

本歌は、万葉集巻第十一「正述心緒」(誇張や比喩無しに心持ちを正述する歌)、よみ人知らずの歌群にある。

夜干玉之 妹之黒髪 今夜毛加 吾無床尓 靡而宿良武

(ぬば玉の妻の黒髪、今夜もか、わが無き寝床に、靡いて・倒れ伏して、寝て居るのだろう……ぬば玉の可愛い妻の黒髪、今夜もか、我がなきむなしくなった、あの・寝床に、泣き・伏して、寝て居るのだろう)

 

「無…無き…むなしき…亡き…泣き」「宿…泊る…寝る…女」などと戯れていたという証明は出来ない。又戯れて居なかったという証明もできない。ただ平安時代の人々は、言葉の意味は、人の理性的判断などとは無関係に戯れることを知っていた。なので、そうと心得るしかない。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

平安時代の言語観と歌論について述べる

 
 紀貫之は、「言の心」を心得る人は、和歌のおかしさがわかり、古今の歌を「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうか・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取ったようである。

 清少納言は、「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(同じ言葉でも、聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの、それが我々の言葉である)」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。枕草子に、そのような言葉を利用して「をかし」きことを数々記している。それは、和歌の方法でもある。国文学の枕草子の読み方では、皮肉なことに、この一文をも「同じ言葉でも、性別や職域の違いによって、耳に聞こえる印象が異なる」などと聞こえるようである。

藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた言葉・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れる」と述べた。顕れるそれは、言わば煩悩であると看破した。

 国文学が曲解したり無視した、上のような言語観に立って、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという生々しい心が顕れる。

中世に古今和歌集の「歌言葉の裏の意味と心におかしきところ」が秘伝となったのである。やがて、その相伝や、口伝も埋もれ木となってしまった。秘伝の解明が不能ならば、それ以前に回帰すればいいのである。近世の国学と国文学は、平安時代の言語観と歌論とを無視して、全く異なる文脈にある。その人々の創り上げた和歌解釈やその方法は、根本的に間違っている。