帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百二十九)(三百三十)

2015-08-01 00:57:19 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

題不知                       読人不知

三百二十九 あふみなるうちでのはまにうちでつつ うらみやせまし人のこころを

題しらず                     (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(近江にある打出の浜にうち出ていながら、浦見しようかどうしよう・しなければ、恨むだろうか、人の心を・風光明媚な景色よ……合う身成る、うちでの端間にうち出で、筒、裏見・二見しようか、どうしょう・しなければ恨むだろうか、人の心を・男の此処ろを)

 

言の心と言の戯れ

「あふみ…近江…地名…名は戯れる。近い江、近しい女、合う身」「江…言の心は女」「なる…有る…成る」「うちでのはま…打ち出の浜…濱の名…名は戯れる。うち出て来た女、うち出て来た端間」「うち…接頭語…射ち」「うちでつつ…射ちでながら…射ちでて筒となったもの」「うらみ…浦見…裏見…二度見」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「やせまし…しようかするまいか…とまどいを表す」「人…人間…相手…男…我」「こころを…心を…此処ろを…此の我がおとこを」

 

歌の清げな姿は、素晴らしい景色を擬人化した斬新表現。

心におかしきところは、尽き果てて、筒となっても、二見しようかどうしようととまどう、おとこの気遣い。

 

 

(題不知)                    (読人不知)

三百三十  つのくにのいくたのいけのいくたびか つらきこころをわれに見すらむ

題しらず                    (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(津の国の、生田の・幾多の、池のように、幾度か、薄情な心を、君はどうして・わたしに見せるのでしょうか……つのくにの逝く多の女が、逝く度にかあゝ、我慢できない薄情なこころを、貴身はどうして・わたしに見せるのでしよう)

 

言の心と言の戯れ

「つのくに…津の国…国名…名は戯れる。女のくに、女の苦に、女の具に」「つ…津…言の心は女」「いくた…生田…土地の名…名は戯れる。幾多、数多い、逝く多、数多く逝く、多情な」「いけ…池…言の心は女…逝け…山ばの果て」「いくたびか…幾度か…何度もか…(きみが)逝く度にか」「か…疑問を表す…詠嘆を表す」「つらき…辛き…ひどいと感じる…辛抱できない…苦痛だ」「こころを…心を…情を…此処ろを…おとこを」「見す…見せる…見せつける」「見…覯…媾…まぐあい」「らむ…推量する意を表す…原因などを推量する意を表す…どうしてなのだろう」

 

歌の清げな姿は、男の度たびの薄情な仕打ちをなじる女。

心におかしきところは、裏見のないおとこを、うらむおんな。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。