帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百六十一)(三百六十二)

2015-08-25 00:21:18 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄



 平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

万葉集和歌                        順

三百六十一 ひとりぬるやどには月の見えざらば こいしきときのかげはまさらじ

万葉集の歌に和する歌 (源順・清原元輔らと共に後撰集の撰進と万葉集の訓読に携わった人)

(独り寝る、女の・宿には、月が見えないので、恋しき時の、壮士の・影は不在なのだろう……独り寝る、や門には、月人壮子が見えないので、乞いしき時の、陰は増さらないだろう)

 

言の戯れと言の心

「やど…宿…言の心は女…屋門…夜門…おんな」「と…戸…門…身の門」「月…月人壮士・月人壮子・月よみをとこ…月は万葉集で、この様に詠まれてある。月の言の心は、男・おとこ…万葉集以前の月の別名は、ささらえをとこ」「見…目で見ること…対面すること…覯…媾…まぐあい」「こいしき…恋しき…乞いしき…求めたい」「かげ…影…(男の人)影…月光…陰…おとこ」「まさらじ…座さらじ…いらっしゃらない…不在である…増さらじ…(光や物の体積などが)増さらない」「じ…打消しの推量の意を表す」

 

歌の清げな姿は、独り寝の女の様子。

心におかしきところは、独り寝の夜門のありさま。

 

万葉集の恋歌は、運命と言うのか、大きな力に引き離されて、愛する人に逢えない恋を詠んだ歌が多い、人麻呂歌集出の歌、それに和すよみ人知らずの歌、防人たちの歌、七夕の歌も然りである。そのような歌と調和する逢えない恋の歌を詠んだ。

 

 

つきのあかうはべりけるよ、人まちはべりける人のよみ侍りける

        読人不知

三百六十二 ことならばやみにぞあらまし秋のよの なぞ月かげの人だのめなる

月の明るかった夜、人を待っていた人が詠んだ、 (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(おなじことなら、月の無い・闇であればなあ、秋の夜の、なぜ、月影が天頼みなの・彼が来ないのに月など見たくない……できることなら、尽きのない・中止であればいいのに、飽き満ち足りた夜の、なぜ、尽き人おとこのかげり、わたしの・思い通りにならないの・他人頼みなのよ)

 

言の戯れと言の心

「ことならば…おなじことなら…できることなら」「やみ…闇…月の無い夜…月人壮士の不在…止み…中止する(だけ)…止める(だけ)」「ぞ…一つのことを強く指示する意を表す」「秋…季節の秋…飽き…飽き満ち足りのころ」「月かげ…月影…月光…月人壮士の影…尽き陰」「人だのめ…他人頼み…自分の思い通りにならないでがっかりすること…人任せ…自分には何もできない…天任せ」

 

歌の清げな姿は、恋人来ず、独り寝の女に、こうこうと照る月は気の毒。

心におかしきところは、貴身の尽きの陰り、なぜ、君にも私にも、何ともならないのよ。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

平安時代の言語観と歌論について述べる (以下、再掲)

 
 紀貫之は、「言の心」を心得る人は、和歌のおかしさがわかり、古今の歌を「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうか・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取ったようである。

 清少納言は、「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(同じ言葉でも、聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの、それが我々の言葉である)」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。枕草子に、そのような言葉を利用して「をかし」きことを数々記している。それは、和歌の方法でもある。国文学の枕草子の読み方では、皮肉なことに、この一文をも「同じ言葉でも、性別や職域の違いによって、耳に聞こえる印象が異なる」などと聞こえるようである。

藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた言葉・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れる」と述べた。顕れるそれは、言わば煩悩であると看破した。

 国文学が曲解し無視した、上のような言語観に立って、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという生々しい心が顕れる。

中世に古今和歌集の「歌言葉の裏の意味と心におかしきところ」が秘伝となったのである。やがて、その相伝や、口伝も埋もれ木となってしまった。秘伝の解明が不可能ならば、それ以前に回帰すればいいのである。近世の国学と国文学は、平安時代の言語観と歌論とを無視して、全く異なる文脈にある。その人々の創り上げた和歌解釈やその方法は、根本的に間違っている。