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帯とけの拾遺抄
平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。
拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首
いまはとはじといひ侍りける女のもとにつかはしける 源巨城
三百五十九 わすれなんいまはとはじとおもひつつ ぬるよしもこそゆめにみえけれ
最後だ、訪れることはないといった女のもとに届けた (源巨城・拾遺集は、よみ人知らず・男の歌として聞く)
(忘れてくれ・我は忘れるつもりだ、最後だ、訪うつもりはないと思いつつ寝た、いきさつなのに、貴女を・夢に見たことよ……見捨てよう・そうしてくれ、井間は・最後だ、おとづれるつもりはないと思いつつ、寝た・濡れた、次第なのだ、それが・夢に見えたことよ)
言の戯れと言の心
「わする…忘れる…(恋の)記憶をなくす…別れる…見捨てる」「なん…事態実現を強く希望する意を表す…事態実現への強い意志を表す」「いまは…今は…臨終…最後…井間は…おんなは」「ぬる…寝る…寝た…濡る…涙に濡れた…汝身唾に濡れた」「よしも…由しも…いきさつなのに…次第なのに」「こそ…強く指示する意を表す」。
歌の清げな姿は、恋は思案の外であった。不都合な相手と、恋に落ちたようである。
心におかしきところは、愛着し執着するので、井間は見捨てられなかった。
如何なる事情が有って、別れようとしたのかは不明のまま、男の思案と、おとこの情念が、聞き手に伝わる。
題不知 読人不知
三百六十 むば玉のいもがくろかみこよひもか 我がなきゆかになびきいでぬらん
題しらず (よみ人しらず・男の歌として聞く)
(むば玉の妻の黒髪、今宵もか、我れ無き寝床に、靡き出て・倒れ伏し出て、寝ているのだろう……むば玉の妻のくろ下身、今宵もか・小好いもか、我が、泣き・感極まりなみだ流し、寝床に、たおれ伏し出でてしまった、ようだなあ)
言の戯れと言の心
「むば玉の…植物ひおうぎの黒い種子の…夜・黒などの枕詞」「いも…妹…妻」「くろかみ…黒髪…くろ下身…陰」「こよひもか…今宵もか…小好いもか…小好い程度か…感極まらずか」「なき…無き…泣き…汝身唾を流し」「なびき…靡き…(雲などが)横に流れる…(風などのために)倒れ伏す」「いでぬ…出でた…なみだ出てしまった…はみ出てしまった」「ぬ…寝…ねる…完了した意を表す…てしまった」「らん…らむ…(現在の事実を)婉曲に又は詠嘆的に述べる…であるなあ」
歌の清げな姿は、独り寝の妻の様子を推量した。
心におかしきところは、おとこ独り先立ったありさまを詠嘆的に述べた。
本歌は、万葉集巻第十一「正述心緒」(誇張や比喩無しに心持ちを正述する歌)、よみ人知らずの歌群にある。
夜干玉之 妹之黒髪 今夜毛加 吾無床尓 靡而宿良武
(ぬば玉の妻の黒髪、今夜もか、わが無き寝床に、靡いて・倒れ伏して、寝て居るのだろう……ぬば玉の可愛い妻の黒髪、今夜もか、我がなきむなしくなった、あの・寝床に、泣き・伏して、寝て居るのだろう)
「無…無き…むなしき…亡き…泣き」「宿…泊る…寝る…女」などと戯れていたという証明は出来ない。又戯れて居なかったという証明もできない。ただ平安時代の人々は、言葉の意味は、人の理性的判断などとは無関係に戯れることを知っていた。なので、そうと心得るしかない。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。
平安時代の言語観と歌論について述べる
紀貫之は、「言の心」を心得る人は、和歌のおかしさがわかり、古今の歌を「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうか・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取ったようである。
清少納言は、「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(同じ言葉でも、聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの、それが我々の言葉である)」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。枕草子に、そのような言葉を利用して「をかし」きことを数々記している。それは、和歌の方法でもある。国文学の枕草子の読み方では、皮肉なことに、この一文をも「同じ言葉でも、性別や職域の違いによって、耳に聞こえる印象が異なる」などと聞こえるようである。
藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた言葉・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れる」と述べた。顕れるそれは、言わば煩悩であると看破した。
国文学が曲解したり無視した、上のような言語観に立って、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという生々しい心が顕れる。
中世に古今和歌集の「歌言葉の裏の意味と心におかしきところ」が秘伝となったのである。やがて、その相伝や、口伝も埋もれ木となってしまった。秘伝の解明が不能ならば、それ以前に回帰すればいいのである。近世の国学と国文学は、平安時代の言語観と歌論とを無視して、全く異なる文脈にある。その人々の創り上げた和歌解釈やその方法は、根本的に間違っている。