帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄  恋歌番外 七夕の歌(古今集)

2015-08-20 00:04:48 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄 
                              恋歌番外 七夕の歌(古今集)


 

今日八月二十日は、旧暦の七月七日、七夕の日である。七夕にちなんで、古今集の七夕の歌を聞く。

 

古今和歌集、巻第四秋歌上に、七夕の歌は十首並んでいる。他に巻第十八雑歌上に一首ある。

 

 

題しらず                   よみ人しらず

秋風の吹にし日より久方の あまのかはらにたたぬひはなし

題しらず                  (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(秋風が吹いた日より、ひさかたの天の河原で、天の川渡る時を待ち・立ち出ぬ日はない……心に・飽き満ち足りた風が吹いた日より、久堅が、吾間の彼腹に、勇み・立たぬ日は無い)

 

「秋風…季節の秋の風…飽き風…心に吹く飽き満ち足りた風」「久方の…枕詞、天や月などにかかる…戯れて、久堅、久しく堅牢」「の…所在を表す…主語を示す」「あまのかはら…天の河原…彦星が出立する所…職女星が立待ちする所…戯れて、吾間の彼女の腹」「間…ま…女」「たたぬひはなし…立たない日はない…いつも立っている」。

 

 

寛平の御時后宮歌合の歌         藤原おきかぜ

契剣心ぞつらき織女の 年にひとたびあふはあふかは

寛平の御時后宮歌合の歌        (藤原興風・古今集に十七首載る・撰者たちとほぼ同じ年代、身分の人)

(契ったのだろう心ぞ、辛く苦しい織姫が、一年に一度逢うは、逢うかは・逢うといえるのか……そのように・約束したのだろう、剣のような・きれる冷徹な、心ぞ、無情なたなばたつ女が、としにひとたび、逢うは合うかは・和合なるのか)

 

「契…約束…逢瀬…交情」「剣…両刃のつるぎ…きれものの感じ…解りの早い…冷徹な感じ…けん…けむ…たのだろう…過去のことを推量する意を表す」「つらき…堪えられない…心苦しい…不人情である…無情である」「年…とし…疾し…早過ぎるさま…おとこのさが」「ひとたび…一度…一過性…おとこのさが…二合いは容易ではない」「あふ…逢う…合う…合体…和合」。

 

 

なぬかのよのあか月によめる        源むねゆきの朝臣

今はとてわかるゝ時はあまの河 わたらぬさきに袖ぞひちぬる

七日の夜の暁に詠んだ  (源宗于朝臣・貫之が土佐の国から帰京したころ右京大夫。百人一首に冬歌がある)

(今年はこれで・最後だねと、別れる時は、天の河、渡らぬ先に、涙で・袖が濡れてしまう……井間は・これで最後と、離れる時は、あまの川、つづかぬ先に、身の・端ぞぬかるみ濡れる)

 

「今は…臨終…最後の一時…井間は」「井・間…言の心はおんな」「あま…天…女」「河…川…言の心はおんな」「わたらぬ…(まだ川を)渡らない…しつづけない」「さき…先…(時間的に)前…ものの先端…おとこ」「に…時に…のために」「袖…端…身の端」「ひち…泥…ぬかるみ…ひつ…水につかる…濡れる」「ぬる…ぬ…完了した意を表す…濡る」。

 

源宗于は光孝天皇の孫。人の妻との不倫の恋ながら、見果てぬ夢の恋、逢わずして今宵あけぬる恋や、再び逢い難き恋を経験した人。

 

 

やうかの日よめる                みぶのただみね

けふよりは今こむ年のきのふをぞ いつしかとのみまちわたるべき

八日の日に詠んだ  (壬生忠岑・古今集撰者の一人)

(今日よりは、今に来るだろう年の、昨日をぞ、何時かとばかり、待ち続けるのだろうか……京・感の極み、よりは、井間にくる、疾しの・一瞬の、貴の夫おぞ、いつかとばかり、待ち続けなければならないのか・織姫よ)

 

「けふ…今日…きゃう…京…山の頂上…感の極み」「今…いまに…井間に」「井・間…言の心は女」「年…とし…疾し…早過ぎ…一瞬…おとこのさが」「きのふ…昨日…貴の夫…貴身」「べき…べし…推量の意を表す…予定の意を表す…義務の意を表す」。

 

 

原文は、古今和歌集 新日本古典文学大系 岩波書店 による。