帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百四十一)(三百四十二)

2015-08-08 06:10:39 | 古典

          

 

                         帯とけの拾遺抄

 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

題不知                      読人不知

三百四十一 つらしとはおもふものから恋しきは こころもあらぬこころなりけり

題しらず                    (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(あの人・薄情だとは思うのに、恋しい思いは、わが心ではない感情だったことよ……おとこなんて・薄情とは思うものの、乞いしいのは、わたしの心に適わない感情だったわ)

 

言の心と言の戯れ

「つらし…辛し…心苦しい…不人情だ…薄情だ」「ものから…(思う)けれども…(思う)のに」「こころ…心…感情…情感…情態」「なりけり…であった…(気付いてみると)だったのだなあ」

 

歌の清げな姿は、恋心についての思いを、誇張も喩えもなく、正述した。

心におかしきところは、ものを求める心について、わが心に適う心ではないと断定し詠嘆した。

 

少し余計な事ながら述べる。この歌に限らず、公の歌集である『拾遺集』では、わかり易さが配慮されて「こころもあらぬ」は「我にかなはぬ」に変更されてある。また、三百三十七の「つらきもしらぬ物にざりける」は「つらきもしらぬものにぞありける」に変更されてあるのもわかり易さのためである。それに、作者名が変更された歌もある、三百三十四「閑院大臣」は「閑院大君」とされてある。これらは、個人の秘密(プライバシー)を保護するためであろう。

公任の撰進した歌はすべて、『拾遺集』に採用されてある。花山院の公任に対する厚い信頼がうかがわれる。勅撰集は「国風」である。この時代のこの国の、風景、気風、風俗、風説まで、顕れる。そのため、あらゆる配慮がなされてある。例えば、ただの「怨み歌」撰ばないと言ったことである。

普通、歌の一部を変更して、他人に披露することは許されない。わざと、下手に聞こえるようにして、わたしを貶めたと、一生怨まれるだろう。歌の変更ができるのは、「勅撰」という権威による。

公任の私撰「拾遺抄」の歌は、同じ歌でも『拾遺集』より生々しい人の心が聞こえるかもしれない。

 

 

(題不知)                    (読人不知)

三百四十二 わりなしやしひてもたのむ心かな つらしとかつはおもふものから

題しらず                    (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(理屈にあわないよ、無理強いしても、頼る心だことよ、君は・薄情だと、一方では、思っているのに……迷惑なことよ、強引にも頼む心だことよ、わたしは・心苦しいと、すぐに、思っているのに)

 

歌言葉の孕む複数の意味

「わりなし…筋道が立たない…無理である…迷惑である…難儀である」「しひても…強引にも…むりやりにも」「たのむ心…あてにする心…依頼する心」「つらし…薄情である…思い遣りがない…我慢ならない…心苦しい」「かつは…且つは…一方では…すぐにも…たちまち」「ものから…けれども…のに」

  歌の清げな姿は、女の矛盾した恋心について述べた。

心におかしきところは、男の強引な乞う心について述べた。

 

上の言葉は全て、今の古語辞典に載る意味である。平安時代の歌は、此の複数の意味を生かして、複数の意味を表現しょうとしているのである。近世以来の歌の解釈は、それぞれの正しい意味を自らの理性によって唯一つだけに決定しようとする。そして歌を一義で平板なものにしてしまった。

貫之が知れという「歌の様」即ち「和歌の表現様式」を知らない。公任の歌論の歌に有る複数の意味をも無視したのである。

 


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。