帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百六十五)(三百六十六)

2015-08-27 00:10:22 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

つきを見侍りてゐなかなるをとこをおもひいでてつかはしける 中宮内侍

三百六十五 こよひ君いかなるさとのつきをみて 宮こにたれをおもひいづらむ

月を見て、田舎に居る男を思いだして遣わした  (中宮内侍・馬内侍・円融院から一条天皇の御時まで、内侍司の女官)

(今宵、君、如何なる里の月を見て、宮こに・都に、誰を思い出しているのでしょうか……小好い貴身、どのような、さ門のつきをみて、宮この・感の極みの、誰を思い出しているのかしら・いまごろ)

 

言の戯れと言の心

「ゐなか…田舎…郊外…里…井中」「をとこ…男…高階明順のことらしい(清少納言らが郭公の声を聞きに訪れ、わらび料理を御馳走になった人)…おとこ」。

「こよひ…今宵…小好い」「君…貴身」「いかなる…如何なる…どのような…どういう」「さと…里…さ門」「さ…小…狭…早…身の門の美称」「と…門…おんな」「つき…月…月人壮士…突き…尽き」「みて…見て…体験して」「見…覯…媾…まぐあい」「宮こ…京…山ばの頂上…感の極み」「らむ…現在の事実について推量する意を表す」

 

歌の清げな姿は、里の家でどのような月見して、宮の内の誰を思い出しているのでしょう。

心におかしきところは、小好い貴身、どんな狭門のつきを見て、宮こで、垂れお、思いを、出だしているのでしょう。

 

 

京におもふ人をおき侍りてはるかなるところにまかりける道に

月のあかき夜                  読人不知

三百六十六 宮こにて見しにかわらぬ月影を なぐさめにてもあかすころかな

京に愛する妻を置いて、はるか遠い所に行く道中で、月の明るい夜 (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(都にて見たのと変わらない月影を、慰めにして、夜を明かす近頃だことよ……頂天のときに、あなたが・見たのと変わらない月人壮士の陰を、てなぐさみにでも、夜を過ごす、今日このごろだなあ)

言の戯れと言の心
「宮こ…都…京…宮の内…頂上…極まったところ…感の極み」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「月影…月の姿…月光…月人壮士の陰…おとこ」「なぐさめ…慰め…もの思う心を晴らすこと…心を楽しませること…気を紛らすこと…手慰め」「あかす…(夜を)明かす…(夜を)過ごす」

 

歌の清げな姿は、往復に多日かかるのだろう羇旅にあって、都の妻への便り。

心におかしきところは、愛する妻へ、我がおとこの近況を報告する。


 

今の人々には「清げな姿」しか聞こえなくなっている。これらの歌の生々しい「心におかしきところ」が埋もれてしまった。
 平安時代、公任や俊成の歌論から見て、「心におかしきところ」の品に上中下はあっても、それがなければ歌ではなかった。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。
 

平安時代の言語観と歌論について述べる(以下、再掲)


 紀貫之は、「言の心」を心得る人は、和歌のおかしさがわかり、古今の歌を「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうか・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取ったようである。

 清少納言は、「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(同じ言葉でも、聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの、それが我々の言葉である)」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。枕草子に、そのような言葉を利用して「をかし」きことを数々記している。それは、和歌の方法でもある。国文学の枕草子の読み方では、皮肉なことに、この一文をも「同じ言葉でも、性別や職域の違いによって、耳に聞こえる印象が異なる」などと聞こえるようである。

藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた言葉・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れる」と述べた。顕れるそれは、言わば煩悩であると看破した。

 国文学が曲解し無視した、上のような言語観に立って、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという生々しい心が顕れる。

中世に古今和歌集の「歌言葉の裏の意味と心におかしきところ」が秘伝となったのである。やがて、その相伝や、口伝も埋もれ木となってしまった。秘伝の解明が不可能ならば、それ以前に回帰すればいいのである。近世の国学と国文学は、平安時代の言語観と歌論とを無視して、全く異なる文脈にある。その人々の創り上げた和歌解釈やその方法は、根本的に間違っている。