帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百六十七)(三百六十八)

2015-08-28 00:20:33 | 古典

          

 

                         帯とけの拾遺抄


 

平安時代の「拾遺抄」の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読む。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

題不知                       貫之

三百六十七 てるつきも影みなそこにうつるなり にたる事なき恋にも有るかな

題しらず                      紀貫之

(照る月も、影が水底に映り、水の様子によって・変わるのである、似ることのない・人それぞれの、恋であるなあ……照る月人壮士も、陰がをみなのそこに移ろうのである、似ることのない・人さまざまの、乞いであるなあ)

 

言の戯れと言の心

「てるつき…照る月…容貌など美しく輝く月人壮士…照るおとこ」「影…光…姿…形…映像…陰…おとこ」「みなそこ…水底…女のそこ」「水…言の心は女」「うつる…映る…映像は水の状態によってさまざまに見える…女の情態によって恋のかたちはさまさまとなる…移る…変化する…色衰える…果てる」「にたる事なき…類似のことのない…十人十色の」「恋…乞い…求めること」「かな…感動を表す…感嘆・詠嘆を表す」

 

歌の清げな姿は、恋歌に表れる・恋の形は十人十色である。

心におかしきところは、照る陰の移ろう有様も十人十色であるなあ。

 

公の歌集、拾遺集では、分かりやすく、「照る月も影水底にうつりけり 似たる物なきこひもするかな」とある。貫之が相手の女性によって変わる「恋…乞い」の体験を詠んだ歌と聞こえる。

 

 

善祐がながされ侍りける時ある女のいひつかはしける   読人不知

三百六十八 なくなみだよはみなうみと成りななむ おなじなぎさになみやよすると

善祐(法師)が、流された時、或る女が、言い遣わした  (よみ人知らず・女の歌として聞く)

(泣く涙、世は皆、海と成ってほしい、君がゆく・同じ渚に、波、寄せるかと……泣く汝身唾、夜にはみな海と成ってほしい、わたしが居る・同じ渚に、汝身が寄せ来るかと)

 

言の戯れと言の心

「なみだ…涙…汝身唾」「よ…世…夜」「うみ…海…言の心は女」「ななむ…強い願望を表す」「なぎさ…渚…水際…汀…身際」「なみ…波…汝身…我が身…貴身」「な…汝…親しい近しいもの」「や…疑問を表す」「よす…寄せる…心を寄せる…身を寄せる」

 

歌の清げな姿は、愛するものと引き離される憂き心の表明。

心におかしきところは、汝身に限りなく愛着する心情。

 

「ある女」とは、身分の高い人で、その女房の代作と聞く。ただし、古今和歌集 春歌上の歌、季節の春の初め(女の春情の初め)を、「雪のうちに春はきにけり 鶯のこほれる涙いまやとくらむ」と詠んだ人。「雪…白ゆき…おとこの情念」「鶯…鳥…言の心は女」と心得ればわかる、初々しくも艶なる歌を詠んだ人。

 

 公の歌集、拾遺集では、「ある女」ではなく、善祐の母の作とされてある。たとえ流人であろうとも、産みの母の海より深い情愛に変わりはない歌とする。「泣く涙世はみな海となりななん 同じ渚に流れ寄るべく」。

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。


 

平安時代の言語観と歌論について述べる(以下、再掲)


 紀貫之は、「言の心」を心得る人は、和歌のおかしさがわかり、古今の歌を「恋ひざらめかも…恋しくならないだろうか・なるだろう」と述べた。「言の心」とは字義だけではない、この文脈で言葉の孕む全ての意味である。国文学は「事の心」として、全く別の意味に聞き取ったようである。

 清少納言は、「同じ言なれども、聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉(同じ言葉でも、聞く耳によって聞き取る意味が異なるもの、それが我々の言葉である)」。このように枕草子(三)に超近代的ともいえる言語観を述べているのである。枕草子に、そのような言葉を利用して「をかし」きことを数々記している。それは、和歌の方法でもある。国文学の枕草子の読み方では、皮肉なことに、この一文をも「同じ言葉でも、性別や職域の違いによって、耳に聞こえる印象が異なる」などと聞こえるようである。

藤原俊成は、「歌の言葉は、浮言(浮かれた言葉・定まりのない言葉)や、綺語(真実を隠し巧みに飾った言葉)に似た戯れであるが、其処に、歌の旨(主旨・趣旨)が顕れる」と述べた。顕れるそれは、言わば煩悩であると看破した。

 国文学が曲解し無視した、上のような言語観に立って、藤原公任の「優れた歌」の定義に従って、公任撰「拾遺抄」の歌を聞けば、歌の「清げな姿」だけでなく、「心におかしきところ」が聞こえる。歌には、今まで聞こえなかった、俊成が煩悩であるという生々しい心が顕れる。

中世に古今和歌集の「歌言葉の裏の意味と心におかしきところ」が秘伝となったのである。やがて、その相伝や、口伝も埋もれ木となってしまった。秘伝の解明が不可能ならば、それ以前に回帰すればいいのである。近世の国学と国文学は、平安時代の言語観と歌論とを無視して、全く異なる文脈にある。その人々の創り上げた和歌解釈やその方法は、根本的に間違っている。