帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 恋歌番外 七夕の歌(万葉集)

2015-08-19 00:00:30 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄 

                    恋歌番外 七夕の歌(万葉集)



 八月二十日は、旧暦の七月七日、七夕の日にあたる。七夕にちなんで、万葉集の七夕の歌を聞く。

万葉集 巻第十 秋雑歌 「七夕」と題してある「柿本朝臣人麻呂歌集出」の歌三十八首の次に、よみ人しらずの七夕の歌が六十首ばかり並んでいる。


 平安時代の、貫之、公任、清少納言、俊成の言語観と歌論に従って聞く。

 

 

牽牛 与織女 今夜相 天漢門尓 波立勿謹

(牽牛とたなばたつ女と今夜逢う 天の川門に波立つなゆめ……両星、今夜逢い合う、あまの川門に、ゆめゆめ波立つな・汝身立つのだから)

 

「天…あま…言の心は女」「漢…河の名…川…言の心はおんな」「門…と…言の心はおんな…身の門」「波…汝身…おとこ」「汝…な…親しい物をこう呼ぶ」「謹…謹んでもの申す…ゆめゆめ…けっして…意味を強める」。

 

 

君舟 今滂来良之 天漢 霧立渡 此川瀬

(君が舟いまこぎ来らし天の川 霧たちわたる此の川の瀬に……君がふね、井間こぎ来るらしい、あまの川、きりりと締り・きりりと立ちわたる、この川の浅きところに)

 

「舟…言の心はおとこ…夫根」「今…いま…井間…おんな」「滂…(なみだなど)流れでる…搒…(ふねなどを)こぐ…おしすすむ」「天…あま…あめ…言の心は女」「漢…河の名…川…言の心はおんな」「霧…川霧…きり…きりり…引き締まった感じ…しっかりした感じ」「立…わきたつ…つきたつ」「門…と…水門…おんな」「瀬…浅瀬…浅いところ」

 

 

明日従者 吾玉床乎 打拂 公常不宿 独可母寐

(明日よりはわが玉床をうち払い 君はいつも宿らず独りかも寝む……明日よりは、わが玉のうてなを、うち振り触れた貴身は、常には泊らず、独り寝るのでしょうか)

 

「玉床…寝床…寝台…玉のうてな…女」「玉…美称」「乎…を…対象を示す…お…おとこ」「打…接頭語…内」「…払…除き去る…振り触れる…枝垂れ柳の先が水面に触れるさまなども、はらふ、という」

 

 

万葉集の原文は、萬葉集本文編 ㈱ 塙書房 による。


帯とけの拾遺抄  恋歌番外 万葉集の七夕の歌

2015-08-18 00:14:20 | 古典

          


 

                                 帯とけの拾遺抄 
                                                 
恋歌番外 
万葉集の七夕の歌

 

今年の八月二十日は、旧暦の七月七日、七夕の日である。秋になったとはいえ、一千年ばかり前の京都も、今頃はまだまだ暑かったようである。清少納言枕草子(三三)に「七月ばかり、いみじうあつければ、よろずの所あけながら夜を明かす」などとある。「よろずの所」を、窓、障子、戸と思うのは当然ながら、衣の胸元、衣の裾とも聞こえるように書いてある、そう思って、枕草子は読むべきである、読んでいいのである。「聞き耳異なるもの、男の言葉、女の言葉」という人の「をかし」の源である。

 


 「拾遺抄」の歌は、しばらくお休みして、
七夕にちなんで、歌のひじり柿本人麻呂の七夕の歌を聞いてみよう。


 万葉集 巻第十秋雑歌に「七夕」と題して、「柿本朝臣人麻呂歌集出」の歌が、先ず、三十八首並べてある。その数首を撰んで聞く。

 

久方 天印等 水無川 隔而置之 神世之恨

(久方のあまのしるしと水無川 隔てて置きし神世し恨めし……久方の天の印などと、水無川・天の川・見なせかは、両星を・隔てて置いた神世が恨めしい)

 

「水無川…川の名…名は戯れる。天の川、水のない川、見なせかは、見做せとか」「天の印…天の路の標識」。

 

 

吾世子尓 裏戀居者 天漢 夜船滂動 梶音所聞

 (吾背子にうら恋い居れば天の川 夜船こぎわたる梶の音聞こゆ……たなばたつ女・わが夫君に、心から恋していれば、あまの川、夜ふね流れ、こぐかぢの音が聞こえる)

 

「裏…心」「天…あま…あめ…言の心は女」「漢…河の名…川…言の心はおんな」「船…ふね…言の心はおとこ…夫根」「滂…(なみだなど)流れでる…搒…(ふねなどを)こぐ…おしすすむ」「かぢ…梶…木の名…ふねの推進具」「所…受身を表す」。

 

 

汝恋 妹命者 飽足尓 袖振所見都 及雲隠

(汝恋う、妹のみことは、飽き足りに、袖振る見えつ、雲隠るまで……彦星を、恋いする妻のいのちは、飽き満ち足りに、そで振る見えた、宮こに及ぶ、くもの隠れるまで)

 

「妹…いも…妻」「命…みこと…尊称…いのち…生命…生魂」「袖…端…身の端」「見…覯…媾…まぐあい」「都…つ…完了した意を表す…みやこ…宮こ…感の極み…有頂天」「雲…空の雲…心の雲…心に煩わしくの湧き立つもの…色情・欲情など…ひろくは煩悩」。

 

 

七夕の歌は、ひき離された恋、逢えない恋の歌である。柿本人麻呂は、石見国より、若くして妻の依羅娘子(よさみのおとめ)と相別れ都へ召されたようである。その後、逢えないまま死を迎える。まさに七夕の歌は人麻呂の歌である。

勿念跡 君者雖言 相時 何時跡知而加 吾不恋有牟

(思うなと、君は言えども、相逢う時、何時と知って、わたしは恋しらずにいるのでしょうか)

これは別れた時の依羅娘子の歌(万葉集巻第二)である。

 

万葉集の人麻呂の歌を、平安時代の、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読んだ。

 

 

万葉集の原文は、萬葉集本文編 ㈱ 塙書房 による。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百五十三)(三百五十四)

2015-08-15 00:03:10 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

題不知                            読人不知

三百五十三 ひたぶるにしなばなにかはさもあらばあれ いきてかひなく物をおもふ身は

題しらず                           (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(ひたすら死ぬのなら、なにか?そうするのならそうなさいませ、遺され・生きて甲斐なく物思う身は・如何すべき……一途にしぬならば、何か?何もない、そうするならば・それでいい、荒れ・生きて貝泣く、貴身を思う、わたしの・身はあゝ)

 

言の戯れと言の心

「ひたぶるに…ひたすら…一途に…すっかり…完全に」「なにかは…何かは…何かある何もない」「さもあらばあれ…そうであればそうで有れ…したいようにするがいい…放任する意を表す」「いきて…生きて…生きている」「かひなく…甲斐なく…貝泣く」「かひ…甲斐…価値…効果…貝…言の心はおんな」「物をおもうふ…恋しいと思う…貴身こいしいと思う」「身は…遺された女の身は…このわたしの身は(どうなるのあゝ)」「は…強調する意を表す…詠嘆の意を表す」

 

歌の清げな姿は、(死んでいるのならば、それならそれいいけれど、在るこの身はどうすればいいの)、訪れない男への、並々ならぬ恋い歌。

心におかしきところは、(一途に逝くか、遺された貝は泣くよ貴身を思うこの身は、あゝ)、おとすれのないおとこへの、乞い歌。

 

五七七 七七は、旋頭歌(五七五七七七または五七七 五七七など)の一種か。形式はいずれにしても、読み上げたり、詠じたりした時に、何となく「艶にもあはれにも」聞こえることが第一である。

 

 

(題不知)                    (読人不知)

三百五十四 おもひます人しなければますかがみ うつれる影とねをのみぞなく

題しらず                     (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(思い増す人が居ないので、真澄の鏡に映っている、わたしの・影と一緒に声あげて泣くだけよ……思い火増す女はいないので、間済みの屈身、移ろい衰える陰とともに根おの身ぞなく)

 

言の戯れと言の心

「おもひ…思い…思火…情念の炎」「人…男…女」「し…強調…枝…子…おとこ」「ますかがみ…真澄の鏡…間済の彼が身…増す屈身」「うつれる…映っている…移れる…移ろっている…色衰えている…果てている」「影…かげ…姿…陰…陰の部分」「と…と共に…と一緒に」「ねをのみぞなく…声あげて泣くばかり…根おの身ぞ無く…おとこぞなく」「なく…無く…泣く…涙を流す…汝身唾を流す」

 

歌の清げな姿は、訪れない男への、恋い歌。

心におかしきところは、おと擦れの無くなったおとこへ、ものの空しさの訴え。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百五十一)(三百五十二)

2015-08-14 00:25:15 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

題不知                           右近

三百五十一 わすらるる身をばおもはずちかひてし 人のいのちのをしくも有るかな

題しらず        (右近・醍醐の御時の中宮藤原穏子に仕えた人)

(忘れられてしまう身だとは思いもよらず、神に・誓ったあの人の命、失うのは嫌なことよ・神罰あるかも……和すことのできる身をば、思いも思わず違えそむいた、人の身をの寿命、愛惜の情、感じることよ)

 

言の戯れと言の心

「わすらるる…忘れられてしまった…見捨てられてしまっている…和すられる…和合することができる」「らる…受身の意を表す…可能の意を表す」「身を…我が身を…彼の身を…彼身の一つの物」「ちかひてし…(神に)誓った…ちがひてし…(思いと)違った…思いを違えた」「人…あの人…男」「いのち…人の生命…身をの命…物の寿命」「をし…惜しい…失いたくない…愛着を感じる」「かな…だなあ…であることよ…感嘆を表す」

 

歌の清げな姿は、見限られたか見捨てられた女の、未練なさそうで、有りそうな心情。

心におかしきところは、和すこと、思いを思うこと、ものの長い寿命を乞い願う女の心根。

 

このように聞いてこそ、公任の優れた歌の定義に適うことが明らかとなる。また、藤原俊成『古来風躰抄』に、よき歌についていう。

歌はただよみあげもし、詠じもしたるに、何となく艶にも、あはれにも聞ゆる事のあるなるべし


 この「艶」は、「はなやかで美しい」とも「なまめかしく色っぽい」とも聞こえ、また「あはれ」は「しみじみと感動する」とも「哀れ」「あゝあれ」とも聞こえるが、何となく、よき歌の様がわかるように述べられてある。右近の歌は俊成から見ても「よき歌」だろう。


 定家は、この歌が「余情妖艶」だから『百人一首』に撰んだのだろう。


 今の人々には、歌の上半身しか解き明かされていない。国文学は、俊成と定家の歌論の「艶」の意味の下半分をも消し去ったようである。そうするしかない。

 

 

女をうらみてさらにまでこじとちかごとをたててのちにつかはしける 実方中将

三百五十二 なにせんにいのちをかけてちかひけむ いかばやとおもふをりもこそあれ

女を恨んで、もう来ないつもりだと、誓言を立てて後に遣わした……女を裏見して、これ以上は参上できないだろうと、間違えて言い立てて後に遣わしたのだった (実方中将・公任・清少納言らと同年輩・四十歳に満たず亡くなった)

(どうして、我が・命を懸けて、誓ったのだろうか・間違えたのだろうか、もう来ないつもりなどと・行きたいなと思う時だってあるのに……どうして、おとこの・命を懸けて、誓ったのだろうか・間違えたのだろうか、逝くまいなどと・いきたいと思う折りもあるのに)

 

言の戯れと言の心

「なにせんに…何のためにか…(反省の弁)何にもならないのに」「いのち…我が生命…おとこの命」「ちかひけむ…誓いけむ…誓ったのだろう(か)…違いけむ…間違えたのだろうか」「いかばや…行きたい…逝きたい」「をり…時…折…逝」

 

歌の清げな姿は、喧嘩別れしたものの、未練たっぷりな後悔の念。

心におかしきところは、逝かないと誓っておいて、逝くべき間を、違えてしまったおとこの反省。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。


帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百四十九)(三百五十)

2015-08-13 00:10:49 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

おやにおくれて侍りけるころ、をとこのとひ侍らざりければ   伊勢

三百四十九 なき人もあるがつらきをおもふにも いろわかれぬはなみだなりけり

親を亡くした頃、男が訪ねて来なかったので   (伊勢・古今集の女流歌人の第一人者、その歌の魅力を見ることになるだろう)

(亡き親も、健在の薄情な男を思う時にも、色彩に区別のないのは・同じ色で流れるのは、涙だったことよ……訪れ無き男も、我が内に在っても薄情なおとこを、偲ぶにも、色分けられないのは・同じ色しているのは、哀しみの涙と偲び乞う汝身唾だった)

 

言葉の孕む複数の意味

「なき…亡き」「ある…在る…生きている」「つらきを…辛さを…堪え難きを…薄情を…無情を」「を…対象示す…詠嘆を表す…男…おとこ」「おもふ…思う…思い出す…偲ぶ…恋う…哀しむ」「いろ…色…色彩…気色…色情…色欲」「わかれぬ…分かれぬ…区別がない…同じ色だ」「なみだ…(哀しみの)涙…(偲ぶ)涙…(恋う・乞う)汝身唾…わが身のなみだ」「なりけり…断定・気付き・詠嘆」。

 

歌の清げな姿は、喪中に、見捨て去った男へのうらみつらみ。

心におかしきところは、喪中に、見捨て置いたおとこへ、未練のなみだの色を魅せつけるさま。

 

喪明けに、このような歌を受け取った男は、見捨てていたとしても、焼けぽっ杭に火が付いて、伏しても立っても居られないだろう。


 

歌をこのように聞く文脈に入れば、清少納言枕草子の「聞き耳異なるもの、――、女の言葉」を(聞き耳によって意味の異なるものは、――、和歌などひらがなで表わされた女の言葉)と聞くことができるだろう。これが清少納言の言語観である。

枕草子冒頭の「はるはあけぼの」を(季節の・春は曙・がすばらしい)などと一義に読み、そこから一歩も出られないならば、初っ端から枕草子を読み間違えて居るのである。冒頭の裏の意味を読み直そう。

はるは曙、やうやうしろくなり行く、やまぎはすこしあかりて、むらさきだちたるくものほそくたなびきたる。
(季節の春の曙の景色の描写らしい表の訳は略す……春情・張る物は、期限の明け方。ようやく白々しくなり逝く、山ばの際、すこし明けて、紫色の澄んだ、雲が細く我が心にたなびいている)。……ものの果て方の描写である。

 

 

屏風のみくまののかたをかけるところ          兼盛

三百五十  さしながら人の心をみくまのの うらのはまゆふいくへなるらん

         屏風に美熊野の景色を描いてあったところ (平兼盛・清少納言の父元輔らと同年配・歌合の歌、屏風歌も多い)

(そうしながら人の心を、美熊野の浦の浜木綿・うらみ重ねて、幾重になるのだろうか……さしながら、男の心を、遠くに隔て重ねの、心の女花・裏の端間結う、幾重、成っているであろうか)

 

言の戯れと言の心

「さしながら…然しながら…そうしながら…そのまま…そうしつつ」「人の心を…男の心を」「みくまののうら…み熊野の浦…遠く隔たる浦…重ねて隔てる心…引き離す心」「うら…浦…裏…心…恨」「はまゆふ…草花…言の心は女…名は戯れる。端間結う、端間結ぶ、端間合す」「いくへ…幾重…七重八重か百重か…ものを重ねる」「なるらん…であるだろう(か)…成るだろう(か)…感極まり頂点に成るだろう(か)」「らん…らむ…現在の情態を推量する意を表す」

 

歌の清げな姿は、男の心を隔て重ねて幾重に成るのだろうか。浦(大海原)・浜・草花の言の心を女と心得ている人の、み熊野の絵の印象。

心におかしきところは、おとこの薄情を重ねて隔てながら、端間結び、幾重、頂天に成っているのだろうか。

 

 「み熊野の浦の浜木綿」上のように戯れる源は、たぶん、柿本人麻呂の歌にある。聞いてみよう。

  万葉集 巻第四、相聞、柿本朝臣人麻呂歌四首。その一首目

  三熊野之 浦乃濱木綿 百重成 心者雖念 直不相鴨

(み熊野の浦の浜木綿ももへなす 心は思へど直に逢わぬかも……み熊野の浦の・大海原の遠く隔たる、女花・愛しい妻よ、百重成る、我が・心は念じるけれども、直に相合えないことよ)

 人麻呂歌の主題のひとつ(万葉集の恋歌の主題の一つでもある)、遠く引き離された愛する者への恋歌である。
歌言葉の、少なくとも「三熊野之浦」は、太平洋を望む所で、「遠く隔てた」という意味を既に孕んでいただろう。また「濱木綿」も、女花・恋しい妻などという意味を既に孕んでいただろう。



 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。