帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百三十三)(三百三十四)

2015-08-04 00:21:58 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

(題不知)                      (読人不知)

三百三十三 うらみてののちさえ人のつらからば いかにいひてかねをもなかまし

題しらず                      (よみ人しらず・男の歌として聞く)

(恨みごとを言った後にも、あの人が、つれなく薄情ならば、何と言って、声あげて泣けばいいのだろうか……裏見ての後さえ、あの人が冷淡で、辛い思いをさせるならば、何と言って、根も共に泣けばいいのだろうか)

 

言の心と言の戯れ

「うらみて…恨んで…裏見て…再見して…二見して」「み…見…覯…媾…まぐあい」「つらからば…(相手が)薄情だったら…我慢できなければ…(我が)辛かったら」「ねをも…音をも…声あげて…根をも…おとこも」「なかまし…泣けばいいのだろう(か)」「なく…泣く…嘆く…涙を流す…汝身唾を流す」

 

歌の清げな姿は、女の冷淡な情を、一度は恨んでみせた男、結果は如何。

心におかしきところは、原因と責任の半分は根にもあるのだろう、二見の後も冷淡なままならば、根と共に泣くというところ。


 暁には女を有頂天に送り届けることを、平安時代の男どもは「男とおとこ」の使命であると思っていたのである。

 

 

小野宮の大臣の許につかはしける            閑院大臣

三百三十四 君をなほうらみつるかなあまのかる もにすむ虫のなをわすれつつ

小野宮の大臣(公任の祖父・藤原実頼)の許に届けさせた、(閑院大臣・実頼の甥にあたる人・藤原公季)

(君をやはり恨んでしまったことよ、海人の刈る藻に棲む虫の名を忘れながら・われから、我が人柄ゆえと気付かずに……反対された・君をやはり恨んでしまったことよ、女の着る裳に棲む虫の名を忘れつつ・『われ殻』と気付かずに)

 

言の心と言の戯れ

「虫の名…われから…名は戯れる。割れ殻、我柄(我が人柄)、我故(我が所為)。我殻(我が殻に籠もった人)、割殻(堅い鎧で守られた大切な人)」

 

事実は推量するしかないが、従姉妹に求婚したがその父に反対されたようである。そのわけは、「われから」という虫の名の聞き方によって異なる。女御候補として大切に育てられていた娘だったらしい。

 

この歌は、伊勢物語(五十七)の歌によって成立している。そこで「われから」という虫の名は、どのような意味で用いられているだろうか。

 

昔、をとこ、人しれぬ物思ひけり。つれなき人の許に

こひわびぬあまのかるもにやどるてふ 我から身をもくだきつるかな

(恋が辛くて苦しんだ、海人の刈る藻に宿るという、われから・自ら、我が身をも砕いてしまったことよ……つれない貴女を・恋して苦しくなった、女の着る裳に宿るという『われ殻』も、我が身をも、うち砕いてしまったなあ)

 

「あま…海人…海女…女」「かる…刈る…借る…着る」「も…藻…裳…女が腰から下に着た衣…宮中での女の正装」「われから…自ら…われ殻…鎧のような殻」。


 「つれなき人」とは、やはり女御候補で大切に守られていた人だったようである。伊勢物語の男(在原業平と思われる)は、それでも諦めず、それを打ち砕き、そして、自らの身も心も砕いてしまった。


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。