帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百四十九)(三百五十)

2015-08-13 00:10:49 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

おやにおくれて侍りけるころ、をとこのとひ侍らざりければ   伊勢

三百四十九 なき人もあるがつらきをおもふにも いろわかれぬはなみだなりけり

親を亡くした頃、男が訪ねて来なかったので   (伊勢・古今集の女流歌人の第一人者、その歌の魅力を見ることになるだろう)

(亡き親も、健在の薄情な男を思う時にも、色彩に区別のないのは・同じ色で流れるのは、涙だったことよ……訪れ無き男も、我が内に在っても薄情なおとこを、偲ぶにも、色分けられないのは・同じ色しているのは、哀しみの涙と偲び乞う汝身唾だった)

 

言葉の孕む複数の意味

「なき…亡き」「ある…在る…生きている」「つらきを…辛さを…堪え難きを…薄情を…無情を」「を…対象示す…詠嘆を表す…男…おとこ」「おもふ…思う…思い出す…偲ぶ…恋う…哀しむ」「いろ…色…色彩…気色…色情…色欲」「わかれぬ…分かれぬ…区別がない…同じ色だ」「なみだ…(哀しみの)涙…(偲ぶ)涙…(恋う・乞う)汝身唾…わが身のなみだ」「なりけり…断定・気付き・詠嘆」。

 

歌の清げな姿は、喪中に、見捨て去った男へのうらみつらみ。

心におかしきところは、喪中に、見捨て置いたおとこへ、未練のなみだの色を魅せつけるさま。

 

喪明けに、このような歌を受け取った男は、見捨てていたとしても、焼けぽっ杭に火が付いて、伏しても立っても居られないだろう。


 

歌をこのように聞く文脈に入れば、清少納言枕草子の「聞き耳異なるもの、――、女の言葉」を(聞き耳によって意味の異なるものは、――、和歌などひらがなで表わされた女の言葉)と聞くことができるだろう。これが清少納言の言語観である。

枕草子冒頭の「はるはあけぼの」を(季節の・春は曙・がすばらしい)などと一義に読み、そこから一歩も出られないならば、初っ端から枕草子を読み間違えて居るのである。冒頭の裏の意味を読み直そう。

はるは曙、やうやうしろくなり行く、やまぎはすこしあかりて、むらさきだちたるくものほそくたなびきたる。
(季節の春の曙の景色の描写らしい表の訳は略す……春情・張る物は、期限の明け方。ようやく白々しくなり逝く、山ばの際、すこし明けて、紫色の澄んだ、雲が細く我が心にたなびいている)。……ものの果て方の描写である。

 

 

屏風のみくまののかたをかけるところ          兼盛

三百五十  さしながら人の心をみくまのの うらのはまゆふいくへなるらん

         屏風に美熊野の景色を描いてあったところ (平兼盛・清少納言の父元輔らと同年配・歌合の歌、屏風歌も多い)

(そうしながら人の心を、美熊野の浦の浜木綿・うらみ重ねて、幾重になるのだろうか……さしながら、男の心を、遠くに隔て重ねの、心の女花・裏の端間結う、幾重、成っているであろうか)

 

言の戯れと言の心

「さしながら…然しながら…そうしながら…そのまま…そうしつつ」「人の心を…男の心を」「みくまののうら…み熊野の浦…遠く隔たる浦…重ねて隔てる心…引き離す心」「うら…浦…裏…心…恨」「はまゆふ…草花…言の心は女…名は戯れる。端間結う、端間結ぶ、端間合す」「いくへ…幾重…七重八重か百重か…ものを重ねる」「なるらん…であるだろう(か)…成るだろう(か)…感極まり頂点に成るだろう(か)」「らん…らむ…現在の情態を推量する意を表す」

 

歌の清げな姿は、男の心を隔て重ねて幾重に成るのだろうか。浦(大海原)・浜・草花の言の心を女と心得ている人の、み熊野の絵の印象。

心におかしきところは、おとこの薄情を重ねて隔てながら、端間結び、幾重、頂天に成っているのだろうか。

 

 「み熊野の浦の浜木綿」上のように戯れる源は、たぶん、柿本人麻呂の歌にある。聞いてみよう。

  万葉集 巻第四、相聞、柿本朝臣人麻呂歌四首。その一首目

  三熊野之 浦乃濱木綿 百重成 心者雖念 直不相鴨

(み熊野の浦の浜木綿ももへなす 心は思へど直に逢わぬかも……み熊野の浦の・大海原の遠く隔たる、女花・愛しい妻よ、百重成る、我が・心は念じるけれども、直に相合えないことよ)

 人麻呂歌の主題のひとつ(万葉集の恋歌の主題の一つでもある)、遠く引き離された愛する者への恋歌である。
歌言葉の、少なくとも「三熊野之浦」は、太平洋を望む所で、「遠く隔てた」という意味を既に孕んでいただろう。また「濱木綿」も、女花・恋しい妻などという意味を既に孕んでいただろう。



 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。