帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの後十五番歌合 九番

2014-12-31 00:16:33 | 古典

       



                   帯とけの後
十五番歌合


 

「後十五番歌合」は藤原公任(又は子の定頼)が近き世の三十人の歌詠みの優れた歌を各々一首撰んで、合わせるのに相応しい歌を組み合わせて、十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。

公任の歌論によれば、およそ、優れた歌は、深い心と清げな姿と心におかしい情感が、一つの言葉で表現されてあるという。歌の言葉は複数の意味を孕んでいるから、一つの言葉で歌に複数の意味を表現する事ができる。紀貫之は歌言葉の複数の意味を「言の心」と言ったようである。清少納言は、われわれ上衆の言葉は、聞く耳によって意味の異なるものであると枕草子に記し、藤原俊成は、「古来風躰抄」で歌の言葉を浮言綺語の戯れに似ていると述べた。歌言葉の多様な意味さえ紐解けば、歌の清げな衣の帯とけて、内なる生々しい性情が、時には深い心が、直接、今の人々の心にも伝わるはずである。


 

後十五番歌合 (公任撰 一説 定頼


 九番


                            戒秀

 かきつめしねたさもねたしもしほ草 思はぬかたに煙たなびく

 (かき集めた辛くけむたい藻塩草、焼けば・思わぬ方向に煙棚引く……書き詰め・集めた、残念でくやしい恋の文、女は・思いもよらないお方に気振りなびいている)(戒秀法師・清少納言の兄という)


 言の心と言の戯れ

「かきつめし…掻き集めた…掻き積めた…かき詰めた」「かき…書き…搔き…語調を強める詞」「ねたさもねたし…けむたい嫌な…憎いしゃくにさわる…嫉妬する」「もしほ草…藻塩草…製塩用の海藻…手紙文…辛い・けむたい女…嫌な女」「草…藻…言の心は女…草稿」「思はぬかた…意外な方向…意外なお方」「煙…けぶり…気振り…気持の様子」「たなびく…棚引く…横に移動する」

 

清げな姿は、塩焼の様子。

心におかしきところは、失恋の妬みにくしみ。

 

 

   寛祐

 あまたみしとよのみそぎの諸人の 君しも物を思はする哉

 (多数見た豊の禊の多くの人が、あなたに、物思いさせられることよ……数多く見た豊の宮人の身退きの、多くの女たちのように、あなたさえも、離別を・思われるのかあ)(寛祐法師・源公忠の子)

 

言の心と言の戯れ

「みし…見し…見物した…見かけた…まぐあった」「見…覯…媾…まぐあい」「とよの…豊の…豊かなところの…宮中の」「みそぎ…禊…川原で身を清める行事…身そぎ…身退ぎ…身を引く…離れる…別れる」「諸人…多くの人々…両人…一緒の人…恋人同士」「の…が…のように」「君しも…あなたさえも…あなたまでも」「しも…限定する・強調する詞「思はする…自然に思えてくる…思わせる」「哉…かな…感動・感嘆の意を表す…疑い・禁止の意を表す」

 

清げな姿は、御禊の見物人で目だって綺麗な人のこと。

心におかしきところは、恋人の身も心も退いてゆく感慨。

 

恋に破れた今は法師の歌合せ。勝ち負けは如何、持(引き分け)かな。

 

以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、和歌を解くときに基本とした事柄を列挙する。


 ①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。優れた歌には三つの意味があることになる。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」。および、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌に公任の言う複数の意味を詠むことは可能である。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れる。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと「心得る」だけである。例えば「はる」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある高度な文芸である。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして、見え難い歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌を解くのは無謀である。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。(国文学では性別や職域の違いによるイントネーションの違いを述べたと解するようだが曲解である)。

 

⑥和歌は鎌倉時代に秘伝となって歌の家に埋もれ木のようになった。「古今伝授」と称して一子相伝の口伝が行われたが、そのような継承は数代経てば形骸化してゆき埋もれる。江戸時代の学者たちの国学と、それを継承した国文学によって和歌は解明されたが、味気も色気もない歌になってしまった。契沖の「古今余材抄」では、小町の歌に「おもてうらの説ありといふこと不用」などとあり、江戸時代の学者や歌詠みたちは、歌の裏の意味を無視したが、秘伝となって埋もれていたのは、まさにその裏の意味である。歌言葉の浮言綺語の如き戯れの意味と、それにより顕れる性愛に関する「心におかしきところ」である。清少納言や俊成の言語観を信頼して、歌の言葉など、聞く耳によって意味の異なる、浮言綺語の戯れのようなものと捉えれば、それは顕れる。