帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの後十五番歌合 四番

2014-12-25 00:09:45 | 古典

       



                   帯とけの後
十五番歌合



 「後十五番歌合」は藤原公任(又は子の定頼)が近き世の三十人の歌詠みの優れた歌を各々一首撰んで、合わせるのに相応しい歌を組み合わせて、十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。

公任の歌論によれば、優れた歌は、深い心と清げな姿と心におかしきところの三つの意味がある。歌の言葉は複数の意味を孕んでいるから、一つの言葉で歌に複数の意味を表現する事ができる。紀貫之は歌言葉の複数の意味を「言の心」と言ったようである。

清少納言は、われわれ上衆の言葉は、聞く耳によって意味の異なるものであると枕草子に記し、藤原俊成は、「古来風躰抄」で歌の言葉を浮言綺語の戯れに似ていると述べた。歌言葉の多様な意味さえ紐解けば、歌の清げな衣の帯とけて、内なる生々しい性情が、時には深い心が、直接、今の人々の心にも伝わるはずである。


 

後十五番歌合 (公任撰 一説 定頼


 四番


                            助忠

もろ共に出でずはこじと契りしを いかがなりにし山のはの月

(諸共に、月が・出なければ来ない・出ると来ると約束したのに、どうなったのか、山の端の月・出るのか出ないのか……一緒に、もの出なければ、山ばは・来ない・逝かないと契ったのに、どうなったのか、山ばの端の我がつき人おとこ・尽き)(藤原輔尹)


 言の戯れと言の心

「もろ共に…友と共に…女と一緒に」「出でず…(月が)出ない…(ものが)流れ出ない…(感情が)起こらない」「こじ…来じ…(月見には)来ないだろう・行かないだろう…(感の極み)来ないだろう・逝かないだろう」「契り…友との約束…女との契り…男女の交わり」「山のは…山の端…山ばの端…山ばの果て」「月…つき人おとこ…言の心は男…おとこ…突き…尽き」

 

歌の清げな姿は、友との約束ごと

心におかしきところは、果てまで山ばが発生しなかった、はかない男のさが。

 

 

                          橘為義朝臣

君まつと山のは出でて山のはの 入るまで月をながめつるかな

(君を待っていると、山の端を出て、山の端の消え入るまで、月を眺めてしまっていたことよ……きみを待っていると、山ばの端出でて山ばの端が消え入るまで、つきを長めてしまったなあ)


 言の戯れと言の心

「君…貴殿…女…妻」「山のは…山の端…山ばの端…山ばの果て」「出でて…月が出て…山ばを出て…流れでて…感情が起こって」「月…おとこ…突き…尽き」「ながめ…眺め…長め…永め」「かな…感嘆」

 

清げな姿は、友の約束破り。

心におかしきところは、長めていたが合致しなかった妻との山ば。


 

両人は、公任の少し先輩ながらほぼ同じ世にあって同じ文芸の文脈にいて、男の思いを詠んだ。

清げな友情に包んで、妻女との生々しい情況を詠んだのである。


 

後十五番歌合(公任撰 一説 定頼原文は、群書類従本による。



以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、和歌を解くときに基本とした事柄を列挙する。


 ①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。優れた歌には三つの意味があることになる。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」。および、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌に公任の言う複数の意味を詠むことは可能である。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れる。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと「心得る」だけである。例えば「はる」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある高度な文芸である。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして、見え難い歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌を解くのは無謀である。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。(国文学では別の意味に解されているが曲解である)。

 

⑥和歌は鎌倉時代に秘伝となって歌の家に埋もれ木のようになった。「古今伝授」と称して一子相伝の口伝が行われたが、そのような継承は数代経てば形骸化してゆき、埋もれ木となった。江戸時代の学者たちの国学と、それを継承した国文学によって和歌は解明されたが、味気も色気もない歌になってしまった。

秘伝となって埋もれたのは、歌言葉の浮言綺語の如き戯れの意味と、それにより顕れる性愛に関する「心におかしきところ」である。清少納言や俊成の言語観を信頼して、歌の言葉など、聞く耳によって意味の異なるものであり、浮言綺語の戯れのようなものと捉えれば解ける。