帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの前十五番歌合 十番

2014-12-11 00:18:28 | 古典

       



                   帯とけの
前十五番歌合


 

「前十五番歌合」は、藤原公任が三十人の優れた歌を各一首撰んで、相応しい歌を取り組ませて十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。公任の歌論に従って歌の意味を紐解いている。

 


 前十五番歌合
 公任卿撰


 十番

  藤原仲文

有明の月の光をまつほどに わがよのいたくふけにけるかな

(有明の月の光を待つ間に、わが世がひどく老けてしまったことよ・光あたらぬままに……健在なる明けのつき人おとこを待つ間に、我が夜がひどく更け果ててしまったなあ・絶頂に至らぬまま)


 言の戯れと言の心

「有明の月…明け方の空の月…明け方まで健在なつきひとをとこ」「月…月人壮士…壮士…健在なおとこ」「光…恵みの光…光明…栄光」「わがよ…わが世…わが盛りのとき…我が夜…男女の夜…我が節…おとこ」「よ…世…夜…節」「いたく…著しく…ひどく」「ふけ…更け…深まり…老け…老い衰え」

 

歌の清げな姿は、我が世の春を迎えぬまま老けてしまった男の述懐。

心におかしきところは、はかないおとこのさが。

 

 

  輔 昭

まだしらぬ古里人はけふまでに こむとたのめし我を待つらむ

(未だ知らない故郷の人は、今日までに、帰り来るでしょうと、信頼した我を、今頃・待っているだろう……山ばの京を・未だ知らない我が古妻は、京待てに、くるでしょうねと頼んだ我がおを待っているだろう)(菅原輔昭)

 

言の戯れと言の心

「古里人…故郷人…古妻」「里…言の心は女」「けふまで…今日まで…けふまて…京待て…山ばの頂上を待て…絶頂を待て」「たのめし…信頼した…依頼した…身をまかせた」「こむ…来む…帰り来るだろう…(感の極みが)来るだろう」「我を…吾お」「を…対象を示す…お…おとこ」「らむ…現在推量…今ごろ何々だろう」

 

歌の清げな姿は、故郷に錦を飾りに帰り来るとでも信頼されていた男の思いか。

(作歌事情を示す詞書が無い場合は聞く人の耳に任されるだろう。旅先で病んだ男の歌かもしれない。)

心におかしきところは、妻を山ばの京へ送り届けることを本分とすべき夫の思い。

 


 両歌の「心深きところ」は何だろうか。
歌言葉の表面に表れない目に見えない二重の扉に閉ざされた奥深いところに、思いを果たせない男の無念さや残念が詠まれてあるようである。

「玄之又玄」は紀貫之晩年の私撰集「新撰和歌集」の真名序にある言葉で、優れた歌は「花実相兼」で「玄之又玄」であり「絶艶の草」であるという。「玄之又玄」などという奇妙な言葉も決してく空言ではなく、歌の意味の在り処を示しているようである。


 

前十五番歌合(公任卿撰)原文は、群書類従本による。

 


 以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、ここで、和歌を解くとき、基本とした事柄を列挙する。

 

①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。公任撰の秀歌集を解くのに、公任の「優れた歌の定義」を無視することはできない。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌にも公任の言う複数の意味が有る。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れるにちがいない。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと心得るだけである。例えば「春」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌は解けない。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。(国文学では、職域や性別による言葉のイントネーションの違い、耳に聞こえる印象の違いを述べたものとされているようである)。

清少納言の言語観は貫之のいう「言の心」や、公任のいう秀歌にあるべき三つの意味などにも適う。俊成のいう「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似たれども深き旨も顕れる」に継承されている。

 

⑥和歌は鎌倉時代に秘伝となって歌の家に埋もれ木のようになった。「古今伝授」と称して一子相伝の口伝が行われたが、そのような継承は数代経てば形骸化してゆく。江戸時代の学者たちの国学と、それを継承した国文学によって和歌は解明されたが、味気も色気もない歌になってしまった。秘伝となったのは、歌言葉の浮言綺語の如き戯れの意味と、それにより顕れる性愛に関する「心におかしきところ」である。これらは、清少納言や俊成の言語観を曲解していては解けない。永遠に埋もれ木のままである。