帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの後十五番歌合 五番

2014-12-26 00:35:30 | 古典

       



                   帯とけの後
十五番歌合

 



  「後十五番歌合」は藤原公任が近き世の三十人の歌詠みの優れた歌を各々一首撰んで、組み合わせるのに相応しい歌を、十五番の歌合の形式にした私撰和歌集である。

公任の歌論によれば、優れた歌は、深い心と清げな姿と心におかしきところの三つの意味がある。歌の言葉は複数の意味を孕んでいるので、一つの言葉で歌に複数の意味を表現する事ができる。

平安時代の言語観は、紀貫之、清少納言、藤原俊成の言語観に学んだ。歌言葉の複数の意味は「言の心」又は「言の戯れ」という。この多様な意味さえ紐解けば、歌の清げな衣の帯とけて、内なる生々しい性情が、時には深い心が、直接、今の人々の心にも伝わるだろう。


 

後十五番番歌合 (公任撰 一説 定頼


 五番


                              為政

こゝのへのうちまで照らす月影に あれたる宿を思ひこそやれ

(九重の内まで照らす月光に、荒れた我が家を、思いやる……九つ重ねのうちまで照り輝く月人壮士のお蔭で、荒れみだれた女よ、思いこそ、晴らす)(橘為政)


 言の心と言の戯れ

「ここのへ…九重…宮中…九つ重ね…度重ね至たれリ尽くせりのところ」「月…月人壮士…言の心は男」「影…光…お蔭…(男の)照り輝き…光源氏の光」「やど…宿…家…言の心は女…やと…屋門…おんな」「を…対象を示す…強調の意を表す」「思ひ…思火」「やれ…やる…遣る…心を晴らす」


 歌の清げな姿は、古びた我が家についての感慨。

心におかしきところは、妻女の感の極み。

 

   

                             みちずみ

行く末のしるしばかりに残るべき 松さへいたく老いにけるかな

(千年・行く末の記念に残るべき松さえ、ひどく老いてしまった・屋敷だなあ……逝く果てがほんのしるしばかりで、後れ残るのが当然の女さえ、激しく感極まったなあ)(源道済)

 

言の戯れと言の心

「行く末…未来…逝く果て」「しるし…標…記念の物」「残るべき…後に残るのが当然の…後れるのが普通の」「松…言の心は女」「老い…おい…追い…極まる…年齢が極まる…感極まる」

 

歌の清げな姿は、古びた屋敷についての感慨。

心におかしきところは、妻女の感の極み。


為政、道済、公任ともに、一条天皇の御時の人。


 

後十五番歌合(公任撰 一説 定頼原文は、群書類従本による。


 

以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、和歌を解くときに基本とした事柄を列挙する。


 ①藤原公任の歌論「新撰髄脳」に、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。優れた歌には三つの意味があることになる。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌に公任の言う複数の意味を詠むことは可能である。「言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れる。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと「心得る」だけである。例えば「はる」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある高度な文芸である。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして、見え難い歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌を解くのは無謀である。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。

 

枕草子は、和歌と同じ言の心や言の戯れを用いて書かれてある。第八章(原文は、新 日本古典文学大系本による)を読みましょう。

よろこび奏するこそおかしけれ。うしろをまかせて、おまへの方にむかひてたてるを、拝しぶたうしさはぐよ。

(男どもが・喜びを申しあげることこそ、興味深いことよ。裾の後は引きずったままで、御前の方に向って立っていて、拝礼し、舞踏し足踏み鳴らすのよ……女が・喜びの声をあげるのは、おかしいことよ、うしろはあなたまかせで、男前の・こちらに・向かって立っているお、拝見・拝受し、足ばたつかせ、さわぐよ)。


 これは、歌ではなく散文で、女の感の極みを表現したのである。清少納言は、このように、奏し、拝し、舞踏しなど男の言葉を交え、散文で、他にも色々なことを枕草子に書き散らしている。紫式部には一読すれば全てがわかっただろう。紫式部日記で「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべリける人」「真字書き散らして侍るほども、よく見れば、また、いとたへぬ(とても耐えられない)ことおほかり」と言い、以下手厳しく批判した。「艶になりぬる人」「あだになりぬる人のはて」と。
  枕草子は、紫式部が非難したように、あだな(婀娜な・無用な・浮ついた)、えんな(艶っぽい)内容なのである。当時の和歌がそうであるように。