帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの前十五番歌合 七番

2014-12-08 06:37:14 | 古典

       



                  帯とけの
前十五番歌合


 

「前十五番歌合」は、藤原公任が三十人の優れた歌を各一首撰んで、相応しい歌を取り組ませて十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。公任の歌論に従って歌の意味を紐解いている。


 

前十五番歌合 公任卿撰


 七番    

   紀友則

夕さればさほのかはらの河風に 友まどはして千鳥鳴くなり

(夕方になれば、佐保の川原の川風に、友惑わせて、千鳥が鳴いている……果て方ともなれば、さおの彼腹の彼端かせによって、伴惑して、女が頻りに泣いている)


 言の心と言の戯れ

「夕…日の暮れ…果て方」「さほ…佐保…地名…名は戯れる。さお、おとこ」「さ…接頭語…美称…それ」「ほ…お…おとこ」「かはら…河原…彼腹…彼の腹」「かは…河…彼端…あの身の端…おとこ」「かぜ…風…かせ…枷…ほだし…しがらみ…身を束縛するもの」「に…により…原因理由を表す…によって」「とも…友…群れの小鳥たち…伴…つれあい」「千鳥…しば鳴く小鳥…頻りに泣く女」「鳥…言の心は女」

 

歌の清げな姿は、千鳥しば鳴く佐保の川原の風景。

心におかしきところは、おとこのほだしに頻りに泣く女の風情。

 

 

   藤原清正

天つ風ふけひの浦にゐる田鶴の などか雲居にかへらざるべき

(天つ風、吹けひの浦に居る鶴が、どうして雲のある所に帰らずいるのだろうか……女の心風、吹いている心に居る多情女が、どうして煩悩あるところに返らないだろうか・きっとくり返すだろう)


 言の心と言の戯れ

「天つ風…天の風…あまの心風…女の心風」「ふけひの浦…浦の名…名は戯れる。吹いている心」「浦…女…裏…心」「田鶴…たづ…鳥の名…多づ…多情の女」「鳥…言の心は女」「などか…どうしてか…なぜか…原因理由を疑う意を表す…どうしてないことがあろうか・あるだろう…反語の意を表す」「雲居…天…雲井…煩悩ある女…情の深い女…源氏物語で雲井の雁とあだ名される女性、子などあまた居らっしゃる」「雲…心雲…心のもやもや…煩わしいほどの思い…煩悩」「かへらざる…帰らず…返らず…もとに戻らない…繰り返さない」「ざる…ずの連体形…打消しの意を表す」「べき…べしの連体形…きっと何々だろう…確信もって推量する意を表す」

 

歌の清げな姿は、吹けひの浦に居る鶴の風情。

心におかしきところは、おんなの多情なさがを確信もって推量する男。


 

前十五番歌合(公任卿撰)の原文は、群書類従本による。


 

以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、ここで、和歌を解くとき、基本とした事柄を列挙する。

 

①藤原公任「新撰髄脳」に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。公任撰の秀歌集を解くのに、公任の「優れた歌の定義」を、どうして無視することができようか。

 

②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。
 歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌にも公任の言う複数の意味が有る。「
言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れるにちがいない。

 

③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと心得るだけである。例えば「春」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある。

 

④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌は解けない。

 

⑤清少納言は、枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。これは清少納言の言語観である。(国文学では、職域や性別による言葉のイントネーションの違い、耳に聞こえる印象の違いを述べたものとされているようである)。

 清少納言の言語観は貫之のいう「言の心」や、公任のいう秀歌にあるべき三つの意味などにも適う。俊成のいう「歌の言葉は浮言綺語の戯れに似たれども深き旨も顕れる」に継承されている。

 

⑥和歌は鎌倉時代に秘伝となって歌の家に埋もれ木のようになった。「古今伝授」と称して一子相伝の口伝が行われたが、そのような継承は数代経てば形骸化してゆく。江戸時代の学者たちの国学と、それを継承した国文学によって和歌は解明されたが、味気も色気もない歌になってしまった。秘伝となったのは、歌言葉の浮言綺語の如き戯れの意味と、それにより顕れる性愛に関する「心におかしきところ」である。これらは、清少納言や俊成の言語観を曲解していては解けない。永遠に埋もれ木のままである。