帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの前十五番歌合 四番

2014-12-04 00:14:51 | 古典

       



                  帯とけの
前十五番歌合


 

「前十五番歌合」は、藤原公任が三十人の優れた歌を各一首撰んで、相応しい歌を取り組ませて十五番の歌合の形式にした私撰歌集である。公任の歌論に従って歌の意味を紐解いている。


 

「前十五番歌合」 公任卿撰


 四番    


                                            壬生忠岑

春たつといふばかりにやみ吉野の 山も霞みて今朝はみゆらむ

(立春になったというだけでかな、深吉野の吉野の山も、春霞にかすんで見えるのだろうか……張る立つというだけでかな、いや五重八重と重ねたためか・見好しのの好しのの山ばも、目がかすんで見えるのだろう)


 言の心と言の戯れ

「はるたつ…季節が春になる…歴が立春と成る…心に春を迎える…張る立つ」「ばかり…だけで…「にや…だろうか(疑問の意を表す)…だろうかいやそうではない(反語の意を表す)」「みよしの…歌枕…深吉野…美吉野…見好しの」「見…覯…媾…まぐあい」「山…山ば…絶頂」「かすみて…(春霞に空が)かすんで…(寝不足でかな目が)かすんで」「らむ…推量を表す…原因理由の推量を表す」

 

 歌の清げな姿は、立春の日の吉野山の遠景。

 心におかしきところは、若き男女の目がくらむほどの限りない性愛を思わせるところ。

 

                     大中臣能宣

千年までかぎれる松もけふよりは 君に引かれて万代やへむ

(千年までと寿命の限られる松も、今日・正月ねの日よりは、君に引かれ移し植えられ、万代も経るだろうな……千年までと限られる小松も、今日・正月ねの日よりは、君に娶られ、万夜重ねるだろうな)

 

言の心と言の戯れ

「千年…ちとせ…限りないほどの長年…千のとしつき…千の持久力」「松…言の心は女…正月子の日に春日野などで小松を引き持ち帰り移し植え長寿を願う行事がある」「ひく…引く…引きぬき移し植える…めとる…娶る…妻とする」「よろづよ…万代…万代…万夜」「へむ…経む…経るだろう…重む…重ねるだろ」

 

歌の清げな姿は、正月の子(ね)の日の行事で小松引く野辺の風景。

心におかしきところは、上の歌にほぼ同じ。

 


 前十五番歌合(公任卿撰)の
原文は、群書類従本による。

 
  

 以下は、国文学的な解釈と大きな違いに疑問を感じる人々に、ここで、和歌を解くとき、基本とした事柄を列挙する。


 ①藤原公任「新撰髄脳」に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりというべし」とある。公任撰の秀歌集を解くのに、公任の「優れた歌の定義」を、どうして無視することができようか。

 
 ②歌を紐解くために公任の歌論の他に参考としたのは、古今集仮名序の結びにある、紀貫之の言葉「歌のさま(様)を知り、こと(言)の心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、古を仰ぎて今を恋ひざらめかも」と、古来風躰抄に藤原俊成のいう「(歌の言葉は)浮言綺語の戯れには似たれども、(そこに)ことの深き旨も顕はれる」である。歌の言葉には、それぞれ複数の意味を孕んでいるので、歌にも公任の言う複数の意味が有る。「
言の心と言の戯れ」を紐解けば帯が解け、歌の複数の意味が顕れるにちがいない。

 
 ③言葉の意味は論理的に説明できない。既成事実としてある意味を、ただそうと心得るだけである。例えば「春」は「季節の春・立春・春情・張る」などという心を、歌に用いられる前から孕んでいる。「季節の春」と一義に決めつけ、他の意味を削除してしまうのは不心得者である。和歌は複数の意味を孕むやっかいな言葉を、逆手にとって、歌に複数の意味を持たせてある。

 
 ④広く定着してしまった国文学的な和歌の解き方は、ほぼ字義どおりに一義に聞き、序詞や掛詞や縁語であることを指摘して、歌言葉の戯れを把握できたと錯覚させる。そして歌の心について、解釈者の憶見を加えるという方法である。歌の「心におかしきところ」は伝わらない。国文学的方法は、平安時代の文脈から遠いところへ行ってしまっている。あえて棚上げして一切触れない。貫之、公任、俊成の歌論を無視して、平安時代の和歌は解けない。


 ⑤清少納言は、
枕草子の第三章に、言葉について次のように述べている。「同じ言なれども聞き耳異なるもの、法師の言葉、男の言葉、女の言葉。げすの言葉にはかならず文字あまりたり」。言いかえれば、「聞く耳によって意味が異なるもの、それが我々の用いる言葉である。浮言綺語のように戯れて有り余るほど多様な意味を孕んでいる。この言語圏外の衆の言葉は(言い尽くそうとして)文字が余っている」となる。

その実例は先に掲げたが、もう一つ、枕草子第十八章「たちはたまつくり」。清げな姿は、たぶん「太刀は宝玉で飾り作られた飾太刀がすばらしい」。心におかしきところは、「立つものは玉付いている・二つも(笑)」。