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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。
江戸時代の国学に始まる今の国文学的な和歌の解釈は、上のような平安時代の和歌に関する言説を全く無視している。字義通り現代語に訳し、序詞、掛詞、縁語、隠された物名などを指摘すれば、歌の解釈は、ほぼ成立したかのように思いたくなるが、それは、公任の言う、歌の「清げな姿」を見ているだけなのである。人の生々しい心根を言葉とするとき、清げな衣で被わなければならない。その清げな衣に表れた襞か紋様を指摘しても内なる人の心根は見えない。このような国文学的な和歌解釈を、あえて無視して、平安時代の歌論と言語観に従って、和歌の解釈をし直そうとしているのである。字義ではなく歌言葉の「浮言綺語のような戯れ」の意味に、主旨や趣旨が顕れると、平安時代最後の人、藤原俊成は、和歌の真髄を看破した。
拾遺抄 巻第九 雑上 百二首
くまのくらといふ山でらに法師のこもりて侍りけるころ、住持の
法師にうたよめといひ侍りければ
四百七十五 身をすてて山にいりにし我なれば くまのくらはむこともおもはず
「熊の蔵」という山寺に、或る法師が篭もって居ていたころ、住職の法師に歌詠めと言ったので、(よみ人しらず・住職の歌)
(身を捨てて、山に入った我なので、熊が我が身を喰らうだろうことも、なんとも・思いません……見を・覯を、捨てて山ばに入った拙僧なので、めす・具間が、わが物を喰らい込むことも、全然・思いません)
言の戯れと言の心
「身…み…見…覯…媾…まぐあい」「を…対象を示す…お…おとこ」「山…山寺…修行の場…山ば」「くま…熊…具間…おんな」「く…ぐ…具…身に具わった物」「ま…間…あはひ…おんな」「くらふ…喰らう…喰らい込む」
歌の清げな姿は、餓えた熊に我が身を投げ与えることなど何とも思はない・修行積みましたので。
心におかしきところは、断ち難き煩悩に、めすぐ間にもの喰らい込まれた夢は見た、と言っているのに等しい。
あるあると言って、二人の法師笑い出されたと思われるが如何かな。
この歌、拾遺抄「物名」にある。折り込まれた寺の名は、清げな衣の襞のようなもので、歌のおかしさはそんなところにあるのではない。
あらふねのみやしろ 藤原のすけみ
四百七十六 くきも葉もみなみどりなるふかせりは あらふねのみや白くなるらむ
荒船の御社 (藤原輔相・物名の歌の名手だったようである)
(茎も葉もみな緑である根深い芹は・成長し花咲いて、荒船の宮、白くなっているだろう、今頃……具気も身の端も、みな若々しい深い背利は、荒夫根の見や、宮こ・ま白に成っているだろうな)
言の戯れと言の心
「くき…茎…具気…ものの具の気力」「は…葉…端…身の端…おとこ・おんな」「緑…若々しく元気な色」「ふか…深…根が深い…根が浅くない…根が薄情では無い」「ね…寝…根…おとこ」「せり…芹…食用にする春の菜、夏頃白い花を咲かせる…草・菜の言の心は女…背利と戯れて、おとこの利き」「あらふねのみや…荒船の宮…所在知らずも戯れて、荒夫根の見や・荒夫根の宮こ・荒々しい感の極み」「白くなるらむ…一面白い花盛りとなっているだろう…白いお花まみれに成るだろう」「らむ…現在見えない所を推量する意を表す…事実を推量の形で婉曲に述べる」
歌の清げな姿は、芹の白い花が一面に咲く荒船の宮の景色を想像した。
心におかしきところは、若く元気で情の深い男と女の宮こ(感の極み)を婉曲に述べた。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。