帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (四百四十三)(四百四十四)

2015-10-12 00:17:31 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の言語観と歌論に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。

公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有るにちがいない。


 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 

天暦十一年九月五日、斎宮のくだりはべりけるに内裏より硯調じて

たまはすとて                      御製

四百四十三  おもふことなるといふなるすずか山 こえてうれしきさかひとどきく

天暦十一年(957)九月五日、斎宮が伊勢に下ったときに、内裏より硯の調度一式を賜わすということで、 (村上御製)

(思うこと、成就するといわれる鈴鹿山、越えて嬉しい、境遇・境地と聞く……思う如く成るといわれる、すすか山・女の香山、越えて嬉しい、佳境と聞く)

 

言の戯れと言の心

「おもふこと…思う事…思う如…思うように」「なる…成る…成就する」「すずか山…鈴鹿山…近江を経て伊勢にはいる途中の山の名…名は戯れる。鈴か山、為為可山、すす香山、女女香山」「す…する…為す…成る…洲…おんな」「さかひ…境…境界…境遇…境地…佳境」。

 

歌の清げな姿は、斎宮へのお祝いの御歌。

心におかしきところは、この度の境遇を、すすか山越えて、嬉しき佳境と為されよ。

 

 

円融院御時、斎宮のくだり侍りけるに、ははの斎宮もろともに

すずか山をこえはべりけるひよみはべりける     斎宮女御

四百四十四 世にふれば又もこえけりすずか山 むかしやいまになりかはるらん

円融院の御時、斎宮が下向されたとき(977年)に、その母の元斎宮も共に鈴鹿山を越えた日に詠んだ (斎宮女御・徽子女王・斎宮を経験された後、村上帝の女御となる。その娘が斎宮となって下向されたとき同行した)

(世に経れば、再び越えたことよ、鈴鹿山、昔が今に成り変わるのでしょうか……夜にふれば、またも越えることよ、すす香やま・女たちばかりの佳境へ、武樫が井間に成り変わるのでしょうか)

 

言の戯れと言の心

「世…夜」「ふれば…経れば…振れば…触れば」「又…再び…股…間多」「すすか山…鈴鹿山…山の名…名は戯れる。すす香山、女女香山、おんなおんな香やま、越えれば女の佳境か」「むかし…昔…武樫…強く堅い男」「今…井間…女・おんな」「らん…その原因理由を疑いながら推量する意を表す…どうしてこうなのだろう…斎宮は卜定で決まる」

 

歌の清げな姿は、世に経れば、又も鈴鹿山越える、今昔成り変わる不思議なことに出遭った、どうしてでしょう。

心におかしきところは、夜に触れば、すすかの山越えて、またも、武樫が井間に替わる佳境にはいるのでしょうか。


 

作者の思いが言葉となったとき、「聞き耳」によって意味の聞こえ方が異なるものとなる。聞く耳をもつ人にのみ、上のような意味は聞こえる。

当時、言葉が上のように戯れていなかったと言う証明も、戯れて有ったという証明も、不可能で不要である。

斎宮女御は、此処に示したような戯れのすべてを心得ていて、其れを踏まえて歌を詠んでいる。だからこそ、当時の人に認められる「優れた歌」を詠めたのである。

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。