帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (四百七十三)(四百七十四)

2015-10-29 00:04:54 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。

公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。


 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 

いなりのほくらにをんなのてしてかきつけて侍りける   読人不知

 四百七十三 たきの水かへりてすまばいなり山 なぬかのぼれるしるしとおもはむ

稲荷の祠に女の筆跡で書き付けてあった       よみ人しらず

(滝の水、湧き返って静かに澄めば、稲荷山、七日詣でに上った霊験と思いましょう……多気の女、無垢な頃に・返って心澄むならば、稲荷山の神、七日、詣でた霊験と思いましょう……多情な女、繰り返して、心が澄むならば、井成りの山ばに七日上った証しと思いましょう)

 

言の戯れと言の心

「たきの水…滝の水…落ち湧きかえる水…多気の女…多情な女…歌を落書きした女の自覚」「滝・水…言の心は女」「かへり…返り…湧き返り…繰り返り…戻り…元に戻り」「すまば…澄まば…静かになれば…多気が治まれば…心澄めば」「いなり山…稲荷山…稲荷神社の山…神といえども名は戯れる。井成りの山ば、女の成る山、おんなの成る山ば」「井…おんな」「なぬか…七日…七日連続して…現実には一日七度お参りしたようである(枕草子151うらやましげなる物・参照)…井成りならば七日連続のほうが現実的かも」「しるし…験し…徴し…霊験…御利益…証し」

 

歌の清げな姿は、わが心を静めようと七日間、お稲荷さんに詣でた女、霊験を滝の水の静まり澄みゆくさまに求めた。

心におかしきところは、多情な女、我が・心澄むならば、七日連続して、君が・井成り山ばに上らせてくれたしるしと思いましょう。

 

この歌、拾遺集には「雑恋」にある。他に収まる巻はなさそうである

 

 
                  
つつのみたけといふところをよみ侍りける       きのすけとき

 四百七十四 かがりびのところさだめずみえつるは ながれつつのみたけばなりけり

「筒の御竹」という所を詠んだという (紀輔時・父は紀時文、この人土佐日記では、ふんとき(文時)と言う仮名で登場している・祖父は 紀貫之)

(漁をする・かがり火が所定めず、目が眩んだように・見えたのは、流れつつ焚けば、だったのだなあ……目がかすんで・かがり火の二つが三つ四つに見えたのは、汝涸れ筒の身、無理して・焚きつけたからだったなあ)

 

言の戯れと言の心

「かがりび…篝火…漁の為に舟に灯す火」「ところさだめず…遠くから見てあちらこちらに…目が眩んでいるのか、お疲れで目が霞んでいるのか」「ながれ…(舟が)流れ…(夫根が・汝が)涸れ」「つつ…そのまま・継続…筒…中空…空っぽ」「み…見…身」「たけば…焚けば…焚き付けたから…強制したので」「なりけり…断定詠嘆…気付き詠嘆」

 

歌の清げな姿は、篝火焚いて漁する多くの舟の遠景。

心におかしきところは、乞われるままに我が物に鞭打って、井成り山ばの絶頂に幾度か女を送り届けた男が、未明の帰り路で見た篝火のありさま。

 

この歌、拾遺集の「物名」にある。題は「つつみのたけ」。筒見の竹・筒の御竹、いずれにしても、この名の物は未だ詳らかに成らない。

 


 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。