帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (四百六十九)(四百七十)

2015-10-27 00:11:15 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。


 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 

大納言朝光が下に侍りける時、女の許にしのびてまかりてあかつきに

まかりかへらじといひ侍りければ          東宮女蔵人左近

四百六十九  いはばしのよるのちぎりもたえぬべし あくるわびしきかつらぎの神

大納言朝光(道長と従兄弟)が若く官位の低かった時、女の許に忍んで行って、暁に、帰りたくないと言ったので、(東宮女蔵人左近・  三条院の皇太子の頃の女蔵人・小大君)

(岩橋の夜の契り・岩橋造りの夜だけの約束、絶えたようよ・帰ってね、夜明けのわびしい葛城の神……常磐なる女の契りも、絶え果てたようなの、明けることのわびしい、かつら着の髪)

 

言の戯れと言の心

「いはばしのよるのちぎり…役の行者と葛城の神との岩橋造りの契約・この神は容貌醜いということで仕事するのは夜だけ、明けると姿を見せなかった…常磐なる身の端の女のちぎり」「石・岩・磐の言の心は女」「はし…橋…端…身の端」「神…髪…かみの言の心は女」「たえぬべし…絶えてしまった…明けてしまった(時限が来てしまった)…果ててしまった(嘘か真か・女が果ててしまったという)」「あくる…(夜が)明ける…時限が来る…明らかとなる」「わびし…さみしい…つらい…苦しい」「かつらぎの神…葛城の神…明るい時の苦手な神…鬘着の髪…かつら髪を着用した女…明るい所は苦手な女」

ついでながら、清少納言も縮れ毛だったので「かつら着のかみ」だった。帯びとけの・枕草子(宮にはじめてまいりたるころ)をはじめ、枕草子を、そのつもりになって・あえてこの文脈に至り、「聞き耳」を同じくして読めばわかる。

 

歌の清げな姿は、人目が有る、暗いうちに帰ってね。つらいのよ葛城の神も。

心におかしきところは、満ち足り絶え果てたわ、明けるのがつらい、かつら着の髪なのよ。

 

この歌、拾遺集では「雑賀」にある。愛でたく祝うべき和合が成った歌だからだろう。

 

 

紀郎女におくり侍りける                  家持

四百七十   ひさかたのあめのふるひをただひとり 山辺にをればむもれたりけり

紀郎女に贈った                     (大伴家持・万葉集編纂に係わった人に違いない)

(久方の天の・久しぶりの雨の、降る日をただ独り、山辺に居ると、埋もれた感じよ・憂欝で滅入ることよ……久堅の・おとこ雨の降る日を、ただ独り、山ばの裾野辺りにもの折れば、伏すというより・減り込んで埋もれた感じだよ)

 

言の戯れと言の心

「ひさかたの…枕詞…久方の…久堅の(万葉集の表記)…(戯れて)久しく遠い・久しく堅い・久しくつづく」「あめ…天…雨…男雨…おとこ雨」「山辺…山の辺…山ばの周辺…山ばの裾…ひら野」「をれ…居れ…折る…逝く」「むもれ…埋もれ…折れ伏すどころではない…気が滅入る…陰気になる」

 

歌の清げな姿は、雨中の山里の草庵に独居して気の滅入るさま。(万葉集巻第四の編纂でもして居たかな)。

心におかしきところは、もののお雨降る日、独り山ばの裾にもの折れ伏して埋もれてしまったよ。


 

紀女郎だけではなく、山口女王、大神女郎、中臣女郎、笠女郎、坂上大嬢らから、おそらく疑似恋歌を多首贈られている。それらは、人麻呂を恋慕う歌を作って欲しいという依頼を受けて贈ったものと仮にしておいて、歌を聞くとわかりやすい。

紀女郎に贈った家持の本歌は、巻第四 相聞にある「大伴宿祢家持報贈紀女郎歌一首」。「報…報応…こたえ…通報…しらせ…報酬」

久堅之 雨之落日乎 直独 山辺尓居者 欝有来

 (久かたの雨の落日をただ独り 山辺に居るはいぶせかりけり……)


 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。