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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。
公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。
公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有る。
拾遺抄 巻第九 雑上 百二首
延喜御時中宮御屏風に つらゆき
四百七十一 いづれをかしるしとおもはむみわの山 あるとしあるはすぎにざりける
(どちらを、標しと・神域と、思うのだろう、三輪の山の神、有るのは標しの杉ばかりじゃありませんかあ……どちらの、お、め立つ徴しありと、お思いでしょうか、三和の山ばの女、有るのは、過ぎてしまう男ばかりでしたなあ)
言の戯れと言の心
「いづれ…何れ…どちら…どれ…不定の場所やものを指す」「を…対象を示す…お…おとこ」「しるし…標し…しめ縄など…徴し…きざし…兆し」「みわの山…三輪の山…山が御神体…山を囲む斎垣はない」「すぎ…杉…三輪の山は杉が目印…過ぎ…すぎの木…男木…おとこ」「ざりける…ぞありける…でありましたなあ」
歌の清げな姿は、御神体である三輪山の、標しである杉の木を詠んだ。
心におかしきところは、三つ和合の女の、辺りの男木が、皆はかなく過ぎたと見て、中宮とその女房たちの、女の魅力とおんなの長寿を言祝いだ。
「みわ…三和…三度の和合」は、一過性のおとこには至難の業。そんなわけで、すぎの木ばかりになりにけりなのである。
いなりにまできてあひてけそうしはじめて侍りけるをんなのこと人に
あひ侍りにければいひつかはしける 藤原長能
四百七十二 われてへばいなりの神もつらきかな ひとのためとはいのらざりしを
稲荷神社に詣でて出逢って、想いを懸け初めた女が、異なる男に合ったので、言って遣った (藤原長能・道綱の母の弟)
(しいて言えば、稲荷の神も、ひどい仕打ちをなさるなあ、他の男のためにと、祈ったりしていないのに……心わって言えば、井成りの女も、ひどいなあ、女のためにと、我は・井乗らなかったのになあ)
言の戯れと言の心
「われてへば…強いて言えば…心を割って言えば…ぶっちゃけて言えば」「いなりの神…稲荷の神…神の名…名は戯れる。井成りの女、おんな感極まりし女」「かみ…神…髪…上…女」「つらき…仕打ちがひどい…苦痛な…薄情な」「かな…詠嘆の意を表す」「ひと…他人…他の男…女」「いのらざりし…祈らずであった…祈らなかった…井乗らなかった…井に乗らなかった…井は気が乗らなかった」「い…井…女…おんな」「ざり…ず…打消しの意を表す」「を…多様な意味が有る言葉、まさに清少納言のいう聞き耳異なる言葉…ここはその一つ、のに・なのになあ、逆接・詠嘆と聞く」
歌の清げな姿は、稲荷神社に詣でて見初めた女を、寝とられた男の愚痴。
心におかしきところは、井成りの女、ひどい仕打ちだ、他の男と。吾は身を合わせず自重していたのに。
両歌共に、拾遺集では、「雑恋」にある。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。