帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (四百五十九)(四百六十)

2015-10-21 00:13:34 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。

公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有るにちがいない。


 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 

東三条にまかりいでて雨のふりけるひ        承香殿女御

四百五十九 あめならでもる人もなき我がやどを あさぢがはらと見るぞかなしき

東三条(父の故重明親王邸)に退出して、雨が降った日に詠んだ (承香殿女御・斎宮女御・徽子女王)

(雨ではなくて、漏るものも・守る人も亡き、我が宿を、浅茅原・荒野原と、見るぞ哀しき……お雨、成らず、間盛る人もなき、わがや門を、浅ぢが腹と思うぞ、愛しいことよ)

 

言の戯れと言の心

「あめ…雨…おとこ雨」「ならで…ではなくて…成らで…成らずに」「もる…漏る…守る…盛る」「なき…亡き…無き」「やど…宿…家…言の心は女…や門…おんな」「あさぢがはら…浅茅原…原の名…名は戯れる。浅く茅の生えている野原、荒野、浅ちが腹」「浅…(愛情・幸などが)浅い・薄い」「ち…茅…父…天皇に対する尊敬語…血…血族…おぢ」「見る…思う…感じる」「見…覯…媾…まぐあい」「かなしき…哀しき…悲しき…愛おしき」

 

歌の清げな姿は、わが里の邸宅の荒廃ぶりを嘆いた。

心におかしきところは、わがや門の荒廃ぶりと、降るお雨が愛おしいという。

 


 なぜ「雑賀」の巻に置かれてあるのだろうか、雑とはいえ、なぜ「賀」の歌なのか。「まかり出でて」は、内裏から退出しただけではなく、女御ではなくなったのである。一人の女となって、おとこ雨が降った日に詠んだ歌だからである。若くして斎宮となり、わけあって斎宮を退いて、叔父である村上帝の女御となる。内親王を産むが、皇子は夭折した。帝の崩御の後、喪を終えてわが里に退いて居た日のことである。

 

ここで、藤原俊成の歌論を思い出すべきである。「歌の言葉は・浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕れる」という。「それは・煩悩であるが、歌に詠めば・即ち菩提(一つの悟りの境地)である」という。

 

 

春日祭の使にまかりてかへりもうできてすなはち女のもとに

つかはしける                   一条摂政

四百六十  くればとくゆきてかたらんあふことを とほちの里のすみうかりしも

春日祭の使に行って帰って参って、すぐに女の許に遣わした (一条摂政・若き藤原伊尹、左近少将の頃の作)

(暮れれば、すぐに行って語るよ、我らは・似合いだという事を、遠地の里の住み辛らかったことも……繰れば早くゆきて、情けを交わそう、和合することよ、遠地のさ門の済み辛らかったことも)

 

言の戯れと言の心

「くれば…暮れれば…来れば…繰れば…繰り返せば」「とく…すぐ…早く」「ゆき…行き…逝き」「かたらん…語り合おう…情けを交わそう」「あふこと…お似合いだということ…合うこと…和合すること」「遠地…春日の地…あえて遠地といった」「里…言の心は女…さ門…おんな」「すみ…住み…棲み…済み」「うかりしも…憂かりしことよ…憂くかりしたことも」

 


 歌の清げな姿は、貴女と一日二日離れていると、とつても辛い、すぐに逢いたいという。

心におかしきところは、あなたが一番だ、あなたとだけ和合できると訴える。遠地の女と浮気したことは、ばればれながらも。


 若い男の思いは本当なのだろう。和合できることは愛でたい、慶賀である。この歌も拾遺集「雑賀」にある。

 


 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。