帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第九 雑上 (四百五十七)(四百五十八)

2015-10-20 00:01:02 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰『拾遺抄』の歌を、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成の歌論と言語観に従って読んでいる。

公任の捉えた和歌の表現様式は「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを優れたりといふべし」という、優れた歌の定義に表れている。

公任の撰んだ歌には、品の上中下はあっても、「清げな姿」「心におかしきところ」時には「深い心」の三つの意味が有るにちがいない。


 

拾遺抄 巻第九 雑上 百二首

 
          
(題不知)                     能宣

四百五十七 あだなりとあだにはいかがさだむらん ひとの心やひとはしるやと

 (大中臣能宣・若いころの作と思われる)

(誠実でないと、いいかげんに、どうして定めるのだろうか、他人の心を、人は知れるものかどうか・知るわけがない……浮気ものだわと、いい加減に、どうして決めつけるのだろう、男の心を、女が知れるのか・痴れているのかだと)

 

言の戯れと言の心

「あだなり…不誠実である…いい加減である…浮気者である」「ひと…人…他人…異性」「ひと…人…女…男」「しる…知る…痴る…愚かである…ぼけている」「やと…疑問と他の意味も表す…(拾遺集ではわかり易く)やは…疑問の意を表す・反語の意を表す」

 

歌の清げな姿は、浮気者と女たちが言うのでお断りとの返事に、言い寄った男の弁解。

心におかしきところは、わが門に寄り来るあだ波、岩角に当って砕けるといいわ、痴れ者ねという類の女の応えに、男の腹だちの返歌。

 

この歌、拾遺集では「雑恋」にある。「雑…粗雑…がさつ…おそまつ」。

 

 

(題不知)                      読人不知

四百五十八 いかでかはたづねきつらんよもぎふの 人もかよはぬ我がやどのみち
                           
(よみ人しらず・女の歌として聞く)

(どうして尋ねてきたのでしょうか、蓬の生える・荒地の雑草生えている、人も通わない我が宿の道……五十日ぶりにか・どうしてかは、訪ねてきたのでしょう・とっても嬉しい、夜もぎ夫の人も通わないわがや門の通い路)

 

言の戯れと言の心

「いかで…どうして…五十日で」「いか…如何…五十日」「かは…だろうか…疑問を表す」「よもぎふ…蓬生える…雑草生える…荒廃したところ…夜もぎ夫」「草…言の心は女」「もぎ夫…草もぎ取る男…草引き抜く男…女を、引く採る・めとる・まぐあう男」「やど…宿…家…言の心は女…屋門…や門…おんな」「みち…道…路…通い路…おんな」

 

歌の清げな姿は、久しぶりに訪ねてきた夫を喜び祝う歌。

心におかしきところは、五十日ぶりのわがや門の通い路の喜びの歌。

 

この歌、拾遺集では「雑賀」にある。年齢祝いの慶賀ではなく、別の祝い歌。 



 『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。