分子栄養学講師の気ままなブログ

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最先端の認知行動療法をINDIGO塾的に学ぶ①

2018年07月30日 | 心・メンタル

さて、今日は、前回に引き続き行動分析の話題

 

前回は私の行動をABC分析にかけることで、

なぜ、偽りの回答をするという行動が学習されてしまったのかが分かりました

 

けれど、最近は少し変わってきた!!という面白い現象についても最後の方で少し触れました

 

鉄仮面のように固く分厚い鎧のような仮面を身に付け、決して自己開示しなかったわたしが、

本音を言えば”不快あり”という状況が起こってしまうさなか、それでも最近は本音を言うという行動が引き起こされるようになってきた…

そんなまか不思議な現象

 

そして、その理由については、

最先端の認知行動療法を身に付けてきたから

とお伝えしました

 

なんたって、最先端です!

旧型とは訳が違う、進化バージョンです

(医学でも家電でも、なんでもそうだけど、世の中は次から次へと今あるものを更に進化させて、良いものを追求、発展させていく…人間のその向上心と貪欲さって本当に素晴らしいですね

 

なぜ、行動療法でもなく、認知行動療法でもなく、*最先端の認知行動療法を身に付けたことで、変わったのか…?

*最先端の認知行動療法とは、マインドフルネスやメタ認知療法、ACTと言われるアクセプタンス&コミットメントセラピーなどを含む心理療法のことです

 

最先端の認知行動療法は主にアメリカやイギリスから広がってきているため、

翻訳者のニュアンス、言い回しによって、開発者が本当に言わんとしていることを理解するのが少々難関だったりします

 

和訳された書籍を読んでもいまいちピンと来ない…

結局最先端の認知行動療法ってなんのこっちゃ?という

そんな人のためにも

INDIGO塾的和訳で解説を試みたいと思います

興味のない人にはまったくもってワケワカメな内容になってしまうと思います

 

 前回、”ABC分析は機能分析とも言う”と書きましたが、

わたしにとって、偽りの回答をするという行動は、

冷ややかな目で見られるなどの”不快から逃れる”という機能・役割を持っていたんでした

 

人は自分でもなかなか意識していないものですが、

自分が何気な~く引き起こしているあらゆる行動には、機能・役割がある!

だからその行動が引き起こされているのだ!と考えるのが行動療法の考えです

 

(例えば、相手に「おはようと言う行動は、相手かも「おはようと言い返してもらえるという、一種のコミュニケーションツールという機能・役割を持っていると言えます)

 

いじめられるか?

はぶかれるか?

仲間はずれにされるか?

集団からはみ出るか?

変な子変わった子…と、陰口を囁かれるか?

 

そんなわたしにとっては生きるか死ぬかの死活問題が勃発しだし兼ねない状況下において、

”偽りの回答をする”という行動は、

私にとっとは不快極まりないであろうこれらの状況から回避する、逃れるための重要な役割・機能として大きな意味を持ってることが分かると思います

 

後々説明しますが、この状況は、わたしの中にある間違った情報処理のプロセスによって生じていることが分かると思います

人によっては、”これのどこが死活問題なわけ?”と思う人もいるわけです…

人の心になかにある考え方、物事の捉え方というのは千差万別であり、情報処理のプロセスが違うのです…(それはまた後日)

 

さて、ではここで、最先端の認知行動療法がなぜ凄いのか??ということについて

 

その秘密は、実は最先端の認知行動療法は、臨床の現場でこれまで行われてきた行動療法や認知行動療法では扱っていなかった、ある別のことをしているんです!!

ここポイントです

 

その別の事とは…、

行動には何らかの機能や役割があると言いましたが、

行動分析で考えられているABC分析の”機能・役割そのものに働きかける”という試みが行われる!というところです

 

 これは、従来の行動療法、認知行動療法では行われていなかった、最先端の認知行動療法ならではの発想です

というか、むしろ仰天であり目から鱗の発想と言えるかもしれません

 

(これにより、従来の行動療法や認知行動療法をいくら治療しようどもしようども回復しなかった人が、徐々に良くなっていったケースも多数あり

最先端の認知行動療法の発展により、治療体系の幅が広がったことは間違いないようです)

 

”機能・役割そのものに働きかける”という試みを行う最先端の認知行動療法を身に付けていくことで、

結果的に、わたしはこの機能(不快から逃れるという機能)を変えることに至った…

 

”冷ややかな目”という不快から逃れるための機能を持っていたその行動は、今のわたしにとっては意味を持たなくなってきたのです

 

???

ん?

 

どういうことがよく分かりませんね

 

簡単に言うと、

冷ややかな目で見られるという不快から逃れるために機能していたその働きは、

最先端の認知行動療法を身に付けることによってその効果・効力を失ったわけです

 

つまりは、冷ややかな目で見られるという不快から”逃れられなくなる”っていうことになりますね…

 じゃあその効果・効力失ったら困るじゃん?

 

と思われてしまうかもしれませんが、失ってもたいして困らない…

だからこそ、、効果が弱まっていったのです

でなければ、その行動を起こさなくすることは出来ません…

 

あるとき偶然乗った戦車で、一目ぼれしたイケメンズ

彼が毎朝乗っている時刻の電車に乗るために、大嫌いな早起きを頑張ってしちゃったりして、密かに同じ電車に乗って彼を眺めていたのに

 

ある時からその時刻の電車に乗っても意中の彼を見つけられないことになったら、

数か月もすればその時刻の電車に乗ろうとする行動は起きなくなっていきますね

彼と同じ電車に乗るという行動は、好きな彼に会えるという機能をもっていたのです

 

これと同じように(同じではないけど…笑)

冷ややかな目で見られるという不快からの回避、

または集団から浮かないというメリットなどの機能を持っていた、”偽りの回答をする”というわたしの行動は、

その行動をとることで得られていた機能が意味をなさなくなることで、消失していったのです

 

わたしのそれを可能にしたのは、

冷ややかな目で見られてもまあ別にいっか、

仲間外れにされたらされたでまあいっか、

別に場が盛り上がらなくても、シラケても、まあいっか、

などなど

 

わたしの考えの幅が広がったことを意味しています

 

 これが、最先端の認知行動療法の効能であり、凄いところなのです

 

なぜ”それ”(この場合は、まあいっか)が可能になったのか?

続きは次回に書いていきたいと思います

 

つづく

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