斎藤秀俊の眼

科学技術分野と水難救助、あるいは社会全般に関する様々な事象を一個人の眼で吟味していきます。

今日の無機材料科学I

2011年06月28日 17時33分21秒 | 講義記録
まず、小テスト。PoとかAtとか日頃出てこない元素記号を出しました。全問正解は少数でした。たった5~6くらいの元素しかないのだから放射性崩壊に登場する元素くらいはしっかり憶えましょう。

宿題に出した水素2s軌道のグラフはどうでしたか?教科書に出てくるとおりのグラフが簡単な手計算で描けたことに感動を感じた人は、少し人生がかわったかもしれません。

電子配置の講義はあまりおもしろくないかもしれませんが、わざとまちがい探しの要素を入れてあります。とにかく夜の時間に勉強してください。まちがい探しでもないとプリントは配布されておしまいのことが多く、意味ありません。


今日から、結晶構造の話に入りました。7つの結晶系と14のブラベー格子についてノートに絵をはりつけておくとよい。インターネツトで簡単にダウンロードできます。本日の講義で説明した、面心正方格子がブラベー格子ではない理由を必ず理解しておくこと。他のブラベー格子にも同じ理由で存在しないものがあります。

大震災のあと、日本はたいへんな苦難を背負っています。多くの行方不明者がいまだ発見されず、多くの人が家を失い、職を失っています。またもとの日本に戻るためには、若い君たちが次の産業を創っていかなければならない。今苦しんでいる人々からみて恥ずかしくないよう、勉強してほしい。

サイエンスウインドウ

2011年06月27日 00時23分35秒 | 水難・ういてまて
科学技術振興機構(JST)でサイエンスウインドウという雑誌を発行しています。JSTといえば、われわれ研究者にとってたいへんなじみの深い組織です。私自身、JSTとのお付き合いは相当長くて、研究費、知的財産活用事業などでお世話になっています。4月か5月ごろでしょうか、そのJSTから発行されているサイエンスウインドウの編集者の方から連絡があって、着衣泳について記事にしたいという要望を受けました。

正直なところ、サイエンスウインドウってどのくらい認知度があるのかわからなかったのですが、記事がでたとたんに全国あちこちの小学校から着衣泳の問い合わせを受けることになりました。新潟県内でも記事に気がついた先生がいました。全国津々浦々の学校に配布されているようです。

ホームページでも公開されています。いろいろな情報を科学を切り口に解説しています。写真もきれいだし、身近な科学を上手に扱っているし、必見の情報誌です。そういう意味で、着衣泳も扱いやすかったのだと思います。まさに着衣泳も科学ですから。
http://sciencewindow.jp/issue/pdf/web11SW06_1p.pdf

今年も全国で着衣泳の講習会が開催されて、ひとりでも多くの子どもがぎりぎりのところで生還することを願っています。

夏の救急法講習会

2011年06月26日 10時50分06秒 | 赤十字
長岡技術科学大学で赤十字救急法講習会を開催しています。


新規講習と継続講習で合計40名、指導員やスタッフで約10名の50名ほどが参加しました。

2.3月に救急法を実施してから、5月に水上安全法、そして今日の講習会(7月9日、10日まで)とかなり本学での開催回数が増えました。今年に入って延べ人数で100名ほどの市民(本学学生も勘定に入っていますが)が大学を訪れたことになります。

受講者の方から「せっかく技大に来たのだから、大学内を見学したい」という要望がでました。せっかくだから、少し簡単に見学していただくことにしました。大学を市民の方にいつでも見ていただくというのが理想です。少しずつ実現しているように感じます。

今朝の新潟日報

2011年06月26日 10時34分53秒 | 長岡技術科学大学の広報
18面に専門的知識 夏の節電アドバイス という記事が掲載されていました。記事中で2つの講演が紹介されていました。ひとつは長岡出身の節電アドバイザー丸山晴美さんの講演。市民が興味を示すような内容をお話するように心がけているように思いました。一方、本学の取りくみも紹介されていました。どちらかというと。市民に興味をもってもらうというスタンスに近いように感じました。たいへんおもしろい比較になったと感じました。

聴講者には2つのタイプがあって、それぞれ好みがあるかもしれません。大学だから後者になってしまいますが、前者のような視点をどう作りあげていくか、両方のタイプにも受け入れられるようにするにはどうすべきか、財団が考えないといけません。

ペンシルベニア州立大学同窓会

2011年06月25日 16時06分28秒 | その他
環境月間講演会がおわったあと急いで新幹線にのり東京をめざしました。今日はペンシルベニア州立大学の同窓会の日です。1990年ころに現地にいた人限定です。私は同学に1990年から1992年までポスドクで勤務しました。将来の仕事が決まっていない時期のポスドク勤務は心が休まることはありませんでしたが、人生でもっとも躍動的な時期でもありました。もう一度時間を戻せるなら、あの2年半を過ごしてみたいと思います。あれから20年がたちます。みなさんどのように年をとったのか、しっかりと見てきます。楽しみです。

20時すぎに追記
今程、どうしても新幹線の時間にあわせるため、先に出てきました。たいへん久しぶりにおあいする人ばかりでした。E沢さんは東京駅前におつとめとのこと。息子さんはセラ協に所属で同じ研究分野。知らなかった。奥様は昔のどおり美くしかったです。Y田さんは時々長岡にお見えとのこと次はぜひ連絡をくださいね。T橋さんは奥様と息子さんを連れてこられていました。大きくなりましたね。M崎さん、昔ながらのパワー健在ですね。ご主人とぜひおあいしたかったのですが、今日は所用とのこと。残念でした。気がついたら3時間がすぎていました。

2o年前の1990年ころにこんなにたくさんの日本人があのキャンパスにいたのですね。30名ほどの人が今回参加されていました。今回顔をみせられなかった人もたくさんいましたからほんとうにそう思いました。セラミックスの分野でもこのころに高知大の先生、名工大の先生、私立大の複数の先生、同じ境遇のポスドクの人もいました。ポスドクだったのであまり遊ばなかったため、知りあいをたくさん作らなかったのが失敗でした。 すばらしい場を作ってくれました幹事さんに感謝します。