湘南文芸TAK

逗子でフツーに暮らし詩を書いています。オリジナルの詩と地域と文学についてほぼ毎日アップ。現代詩を書くメンバー募集中。

逗子にあった工場の話

2014-09-12 02:09:15 | 湘南
8月30~31日のフリマ&アート展では、複数の来場者から養神亭(新宿)や沖縄寮(沼間)などといった昔逗子にあった施設の興味深い話が聴けました。
小坪の海藻博士・高橋先生からは、明治時代逗子にあった味の素製造工場のことを伺いました。
昨日アップした田越川写真の近く、逗子橋・下山橋間流域の延命寺と川を隔てた所にあったそうです。下の写真の左側、現在住宅が建ち並んでいるあたりです。

当時は味の素という社名ではなく、鈴木製薬所という会社でした。工場建設当初は硝酸、アルコール、ヨードなどを製造していたのですが、明治41年に池田菊苗が発明した新調味料の事業化を引き受けることになり、逗子工場で生産を始めました。しかし売れ行きはなかなか伸びません。明治44年に湘南を襲った大暴風雨の被害を受け、生産・出荷がストップ。販売を委託していて入金のない小売店に返品を請求したところ、売れてしまって返す品がないという返答があり、初めて売れている実感をもったのだとか。
この時暴風雨で壊れたのを機に、それまでも近隣から苦情を受けていたので、川崎に移転。現在も川崎で操業している訳です。
「工場を作った二代目鈴木三郎助より、母ナカと妻テルがすばらしいんです。三郎助が相場で失敗して窮乏した家をなんとか立て直そうと、海岸でカジメを拾って焼いてヨードをとるという大変な労働を黙々と頑張ってね。この2人の女性の物語を作ったら、NHKの朝ドラにできると思うなぁ」と、高橋先生はおっしゃいます。
ちなみに二代目三郎助とテルの間に生まれた三代目三郎助がこの新しい調味料を「味の素」と名付け画期的な広告宣伝で普及させました。葉山マリーナを設立した人物でもあるそうです。

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