由比ガ浜の波動モニュメント。明治17年に長与専斎が海水浴場として鎌倉の海を推奨し広めてから百年を記念して昭和58年に建てられました。国道を挟んで向こうに写っているのは由比ガ浜海浜公園。ここにはかつて鎌倉海浜ホテルが建っていました。その前身であるサナトリウム鎌倉海浜院を専斎が作ったことが、波動の碑の立地と関係していそうですね。
専斎は由比ガ浜に別荘を構え子供たちにも海水浴を勧めていましたが、二女が海で亡くなったために鎌倉を去りました。このやりきれないエピソードは、専斎の末子で作家である長与善郎が記しています。
鎌倉海浜ホテルには三好達治、与謝野晶子、堀辰雄など多くの文学者が滞在し、北原白秋は家族と逗留した際に「鎌倉海浜ホテルにて」とした短歌を詠みました。
専斎は由比ガ浜に別荘を構え子供たちにも海水浴を勧めていましたが、二女が海で亡くなったために鎌倉を去りました。このやりきれないエピソードは、専斎の末子で作家である長与善郎が記しています。
鎌倉海浜ホテルには三好達治、与謝野晶子、堀辰雄など多くの文学者が滞在し、北原白秋は家族と逗留した際に「鎌倉海浜ホテルにて」とした短歌を詠みました。