逗子ゆかりの文豪泉鏡花は、隣町鎌倉にも足跡を残していました。
この文学案内板があるのは材木座の妙長寺。山門前に日蓮像が建ってます。
上の写真の右下、板塀のところに鏡花のことを記した文学案内板が設置されています。
10代で作家を志して上京し、明治24年7~8月に妙長寺に滞在した後、10月に思い切って尾崎紅葉の門を叩き弟子入り。
で、作家デビュー後20代の時(明治35年)と30代の時(明治38~42年)に逗子に滞在したんですね。
この文学案内板があるのは材木座の妙長寺。山門前に日蓮像が建ってます。
上の写真の右下、板塀のところに鏡花のことを記した文学案内板が設置されています。
10代で作家を志して上京し、明治24年7~8月に妙長寺に滞在した後、10月に思い切って尾崎紅葉の門を叩き弟子入り。
で、作家デビュー後20代の時(明治35年)と30代の時(明治38~42年)に逗子に滞在したんですね。