神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

ブログを始めるのは簡単だが、止めるのは勇気がいる?

2016年05月18日 23時01分38秒 | ブログについて
さきほど、時々読ませていただいていたブログが閉鎖するという記事を見つけました。

残念ですし、寂しいです。

この気持ちは、馴染んだご近所さんが引越されるような寂しさといえば、分かっていただけるでしょうか?

そのブロガーさんに、なにか人にはいえない事情ができたのかもしれないし、または大した事情はないけれど、いつまでも続けるのもしんどくなってきたという単純な理由かもしれませんね。

私も、昨年の夏、一度ブログを閉じますとご挨拶したことがありました。

私の場合は、ブログが遠因で、家庭争議のようなことになっていたのでしたが、しかし、いざ止めてしまうと寂しくて・・・。それで、また復活させてしまいました。

私は、聴覚に障害があるので、普通の人より、こういうネットには依存しがちです。

ブログを閉じることになりかけていたのも、復活させたのも、こういう私の個人的な事情が絡んでいたのでした。

こんな何の役にも立たないブログなどは止めてしまって、私自身、もっと有効に時間を使ったほうがいいかも、と思うときもあるのです。

有効に時間を使うとは、たとえば、こうして書き連ねるより、リアルな生活の、たとえば、お掃除をもっと丁寧にするとか、お習字を頑張って毛筆で流麗な字を書くことを目指すとか、エトセトラ。

思わないではありませんが、しかし、私は、基本、パソコンも含めて、書くことが好きなのですね。

だから、止められないのだと思います。

以前、某メーリングリストに参加していたころも、書くことの好きな私は、人よりたくさん発言して(書いて)しまっていました。

それで、とある女性に、「書くことに自負を持っている人だ」と、嫌味たっぷりに言われてしまいました。(それがきっかけで、鬱病にまでなりました(涙)

私自身は、自負など程遠いのですが、しかし、上記した通り、聴覚に障害があるため、その代打として、読み書きに没頭してしまう嫌いはあると思っています。

黙って読むだけにしておけば、ああいう嫌味も言われなかったのでしょうが、しかしインプットするとアウトプットもしたくなるというのは、自然な現象ではないでしょうか?

と私は思うのですが、これは自己弁護になってしまうでしょうか?

  読むが好き読むに飽きればあちこちに書きたくなるが自然(じねん)と思ふ  biko

「聴覚障害者制度改革推進中央本部ブログ」というブログを見つけました

2016年05月18日 14時22分40秒 | 聴覚障害
勝手にリンク張らせていただいていいかどうかわかりませんが、個人のブログではなく、半公共のブログのようですから、張らせていただきます。

というのが、昨日(5月17日)付けの記事が

■意見募集■「手話通訳制度および要約筆記事業のあり方」に関する提言

というものでしたから、ここに読みにくる聴覚障害の皆さんに拡散させていただいたほうがいいと判断しまして・・・。

「聴覚障害者制度改革推進中央本部ブログ」の管理人さん、ご都合が悪いようでしたら、ご連絡ください。

で、どういうことが書かれてあるかというと、

障害者自身が、意思疎通支援のために必要な手段を選び、活用することを権利として認められる時代に必要とされるのは、障害者自身が自分たちの権利について考え、積極的に政策提言をする必要があります。

だそうです。

大事なことですね。

自戒を込めて書きますが、私達、聴覚障害を持っている人たちは、人に頼るではなく、まず自分から積極的に関係機関等に働きかける必要があるということですね。

私自身ができていないので、備忘のために記事にしておくことにしました。悪しからず。

  障碍者自身が自身の権利など政策提言するが大切  biko

  動かねば誰も動いてくれぬこと知るべし聴覚障害者たち  biko

薬物依存には、刑罰ではなく、更正をこそ

2016年05月18日 10時29分43秒 | 私の意見
昨日、元プロ野球選手、清原和博氏の裁判があったようだ。

懲役2年6ヶ月が求刑されたと。

私は、薬物依存者に刑罰を課すことには少し違和感を覚える。

たしかに法に反したことを行ったのだから、法事国家としては刑罰を与えなければならないのだろう。

しかし私には、こと薬物依存に対しては刑罰を与えるより更正させる手立てを施すほうが理に適っていると思える。

というのが、薬物を使用した、そのこと自体は、人を傷つけたり困らせたりしたわけではないから。

薬物を使用した結果、犯罪を犯したというのなら、その犯罪に対してのみ刑罰は与えるべきだ。と思う。

薬物を使用しただけでは、本人や家族には害があったかもしれないが、他人には害を及ぼしたわけではないと私は考えるのであるが、どうであろうか。

それより、薬物に走ってしまった、その心を立ち直らせるのが先決ではなかろうか。

人は、様々な個人的事情から薬物に走る。のであろう。

清原和博氏も、自身の心の弱さを反省している。

これが事実であるとすれば、私には刑罰を与えるより更正させるほうが理に適っていると思うのだ。

もちろん、刑罰を与えるのも更正の手段の一つであろう。

しかし、死刑という刑罰もあることを考えれば、やはり、罰を与えることが主眼であると思われる。

覚せい剤取締り法違反で刑罰を与えることは法的には間違いではないかもしれないが、必ずしも、更正に役立つわけではないように私には思えてならない。

かつて高校野球のヒーローだった清原和博氏には、何とか立ち直ってほしい。と私は念じている。

  ヒーローでありにし清原和博氏覚せい剤より覚醒のあれ  biko