神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

リアルなお客様は、楽しいけれども、疲れる(笑)

2016年05月21日 20時24分44秒 | 日記
今日は、昼過ぎに、ひょっこり以前住んでいた大阪のマンションの知人夫妻が来訪してくれた。午前中、宝塚市に行っていて我が家のことを思い出したから来たと。

車は、お向かいの、たまにお掃除してあげている留守家の駐車場に停めてもらった。

お会いするのは何年ぶりかだったので、とても嬉しかったが、しかし、疲れた。

というのが、今日は、暑くて、来宅されたとき、急いでジュースをお出ししたのだが、喉が渇いておられるようだったので、冷たいお茶、しばらくしてから熱い紅茶とカステラと、何度も台所と和室を往復しないといけなかったから。

食堂にお通しすれば、私は楽なのだが、昼食が終わったばかりで、テーブルの上がいっぱいだったので、和室にお通ししたのだった。

最近、膝が痛いので、それもあって、何度も立つのはしんどかった。

こんなとき、お手伝いさんがいたらと思うが、そういう身分ではないから自分でするしかない。

それでも、積もる話があったから、楽しく過ごして、あっという間に夕方になった。

だけど、疲れた。というのが偽らざる気持ちだ。

かといって、外の喫茶店で会っても補聴器をしている私は話が聞き取れないから、来宅していただくほうがいい。

本当にややこしい自分と思う。

ネットでの交流だと、やれお茶だの、お菓子だのと気をもまなくてもいいのに・・・。

  ネットでの交流に馴れ現実に来客あれば酷く疲れる

だけど、来てくださったWさんご夫妻様、ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております。m(_)m

人の幸せはそれぞれ

2016年05月21日 11時10分24秒 | 私の意見
この歳になると、しみじみ人の幸せはそれぞれと思うようになる。と感じる。

夫は、今日は、今度は川西市主催の老人大学の入学式に行った。

すでに兵庫県の老人大学には入学して受講しているのに、さらに増やすと。

健康で、五体満足な人だからできることだ。

私などは、受講したくても、まず聞こえないというバリアで閉ざされる。

それに、そこまで毎日出かける体力もない。

それとご飯の支度という足かせもある。

今日も、夫は午前中の入学式が終わればお昼には帰宅する。

それで、いま洗濯と平行してカレーを作った。ご飯も土鍋で平行して炊く。

別に大変なことではないが、出かける足かせになるには十分な仕事だ。

夫は、明日は小学校の同窓会があるという。

夫は姑が里帰り出産して生れた子だから生地こそ高知県だが、育ったのはここだから、幼稚園から大学までの友人が近くにいる。

ええ、大学も自宅から一番近い国立大学の大阪大学に進学しましたから近辺に学友が多いのです。

一方、私は中高と高知県でしたし、短大こそ関西でしたが、また就職は帰省して高知県でしましたから、友人のほとんどが高知県です。

おいそれと会うこともできず、同窓会も、たまに近畿地区の同窓会に出るくらいです。

短大の友人とは、あまり連絡を取り合っていません。難聴が進んだこともあって、億劫なのですね。

でも、決して不幸せでもありません。

家にいるのが好きなのと、こうしてブログを書けば、読みにきてくださる人がいるし、私も読みにいかせていただけるから。

このほうが、リアルな世界で遠慮しながら付き合うより、ずっと楽だし、楽しいです。

家事も嫌いではないから、こうしてブログを書きながら、用事もできるわけです。

  家事が好きでもあらざるが苦痛でもなくずつと主婦なり  biko

一昨日書いた兄も、大学時代の活躍からすれば残念な最期だったようですが、しかし、それなりに幸せだったと思います。

兄はワインが好きで、ワインの知識は誰にも負けないくらいありましたから、お店には元高知県知事の奥さんも買いにこられていたし、高知県で一番大きな病院院長も兄のファンで、亡くなったときの盛大なお別れ会も献立てくれました。

こういう時代ですからそれほど儲けるということはなかったかもしれませんが、しかし、毎日、朝、昼、晩と外食をして、食道楽の舌を満足させていました。

お金が足りなくなれば母の預金を切り崩して使っていましたから、恵まれた生れ合わせだったと思います(苦笑)。

貧乏性の私など到底できるまねではありませんが、母はそれで満足していたから別に誰に咎められることもなかったわけです。

兄は、男であることもあって、私のように口で母を攻撃することもなかったから、母は私より兄のほうが可愛かったと思います。

母は、父が浪費癖の強い人でしたから、私達を育てるのに、爪に火を点すように倹約をして、また働いてきた人だったのですが、可愛い息子に散財されることは苦でなかったようです。

兄は、そういう意味では幸せな一生だったと思います。

人の幸せなど、本人の受け止め方如何というところもありますから、他人から見て気の毒なように見えても、本人が満足していれば、それは幸せなわけです。

私が、そういう心境に至ったのは最近のことです。

だから人に後ろ指をさされようが、自分が納得できれば、それでよしとしようと思うようになりました。

  幸せは人それぞれあるゆゑに人の人生あれこれ言ふな  biko