神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

「愛のひみつ場面」を見せてもらって、「花はどこへ行った」を聞かせていただいた

2016年05月11日 20時11分57秒 | ブログについて
gooブログにはリアルタイムアクセスというサービスがあって、訪問してくれた人が分かるだけでなく、そのIDっていうんですか、それをクリックすると、その方のブログを見せてもらえる。

で、さきほどコメントくださった方はコメントにはそのブログアドレスを添えられないので、リアルタイムアクセスから、そのブログにお邪魔した。

今日見せていただいた記事のタイトルは「愛のひみつ場面」

いったいどんな記事だろうと期待しながら見せていただくと、蜻蛉の交尾の一部始終の連続写真だった。

もともとこの方のブログは、写真ブログなので、いつも写真が美しい。

今回も例外でなく、とんぼの交尾の様子が芸術的に撮影されていた。

これは、撮影者に芸術的センスがないとできない技だ。

私は、この生命の神秘を見せていただいて、感動した。

命あるものは、みな命がけで命を遺すのだ。

だから、見せてもらうほうも、興味本位で見てはならない。

  命あるものの営み命がけ興味のみでは見るなかれゆめ  biko

で、そのリアルタイムアクセスの画面を見たとき、別の方のIDもクリックしてみた。

こちらの方は、主に音楽を聞かせてくれるブログだ。

ちょうど最新の記事というか、紹介されていたYouTubeが「花はどこへ行った」だった。

私は、現在は、難聴が進んでしまって音楽を聴くこともなくなっているが、昔は、よく友人達と一緒にフォークソングを歌った。

この「花はどこへ行った」も、よく歌った歌だ。

懐かしかったので、ボリュームを最大にして、聞かせてもらった。

  往年のフォークソングをブログにて聞かせてもらふ時が来るとは  biko

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  楽しみはブログの写真たのしみはブログで聞ける懐メロの歌  biko

今更だが、新人賞応募

2016年05月11日 15時06分10秒 | 短歌
いくらやっても勘所を押さえることができなければ、上達は難しい。

もう止めようと思いながら止めないばかりか、今年は久しぶりに新人賞に応募することにした。

ろくな歌ではないが、30首、原稿用紙に並べて封筒に入れた。

これだけでも疲れた。

以前なら、下手なりに創意工夫もしたものだが、その余力はない。

原稿用紙に書くだけでも疲れた。

パソコンには、いくらでも打てるのに、肉筆で書くことができないのだ。

が、曲がりなりにも書いたから、明日は投函してくることにしよう。

最近の私は、ロシア民謡の「一週間」のような生活をしている。

そう、「月曜日は市場に出かけ、糸と麻を買ってきた♪テゥリャテゥリャテゥリャリャ♪」のような・・・。

怠けているのではなく、そういうふうにしかできなくなったことを自覚する。

以前のように、一日にあれもこれもということができなくなったことを自覚する。

これが、歳をとるということなのだろう。

  怠けると歳を取ること似ていると思ふこのごろ歳を取りたり  biko

『シェーマス・ヒーニー』~5月25日発売予定の本のご紹介

2016年05月11日 02時21分30秒 | 読書
シェーマス・ヒーニーって詩人をご存知の方はいらっしゃいますか?

私は、残念ながら、知りませんでした。

なんでもアイルランドの詩人で、ノーベル賞を受賞された方のようです。

どうして、こんな知らない人のことを書いているかというと、歌友が、このシェーマス・ヒーニーを論じた評論を翻訳して、出版されるからです。

題して、『シェーマス・ヒーニー

評論を書かれた方は、ヘレン・ヴェンドラーというハーヴァード大学の教授です。

それを翻訳されたのは、村形明子、京都大学名誉教授です。

以上、ご紹介まで。

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以前にも、私は、『異文化との出会い』という本の中で、村形さんの書かれたヒーニー、それに付随した文章について感想をしたためている。私の記憶から抜け落ちてしまっていたけれども・・・。

蛇足だが、昨日の記事のおまけとして書けば、村形さんとお知り合いになれたのも、短歌という短詩のお陰である。

  ノーベル賞受賞詩人のイギリスのシェーマス・ヒーニー評論さるる  biko

  評論を書きしはヘレン・ベンドラー翻訳せしは村形明子  biko