最近、また夜の散歩を復活した。
これは健康のためとかいう殊勝なものではなくて、クーラーをまだ入れない今の時期、夜になると外のほうが涼しいから外に出たくなるという、それだけのことだ。
夫は夕食が終わると、テレビを付けたまま、すぐに食堂のソファで眠ってしまう。
私は、それを見計らって、そっと外に出るのだ。
昨夜は満月だった。
満月を見ながら自宅のある一角を歩いて、その後、駅のほうに行って飲み屋街を歩いてきた。
阪急の川西能勢口駅を出て東に5、6分歩くと、チロリン村と呼ばれている飲み屋街がある。
どの店も年季が入っていて、ノスタルジーをそそる一角だ。
駅の西のほうに向かうときもある。
昼間は人の往来の激しいショッピングセンターのあたりも、夜になると、まばらになって寂しくなる。
そんなところを一人で黙々と歩いてくるのだ。
幸い、膝は歩き始めるときには、まだ少し痛いが、何とか歩けるようになった。
ところで、老年にさしかかった私は、何をするにも気ままになった。
食べるものもそうだが、こうした散歩なども、ずいぶん気ままにする。
一昨日来た、大阪のマンション時代の知人夫妻の奥さんが言っていた。「人生七十代が一番いい年代なんですって」と。
現代は、70代になって、やっと世の中のしがらみから解放されるのだそうだ。
私は、あと2年で70歳になる。
70歳と聞いても、いったいどちらのお年寄りのこと?と一瞬思いそうになるが、それが自分の年齢になるのだ。ああ。
満月に誘われ夜の街に出る七十歳とはどなたの齢? biko
まだ母もいませば己は娘なり娘のわれに七十歳(ななじふ)が来る biko
目が覚めたからブログを書いたが、また眠くなったから寝よう。
年寄りは気ままなるべしブログ書き眠くなりせばまた寝る気まま biko
これは健康のためとかいう殊勝なものではなくて、クーラーをまだ入れない今の時期、夜になると外のほうが涼しいから外に出たくなるという、それだけのことだ。
夫は夕食が終わると、テレビを付けたまま、すぐに食堂のソファで眠ってしまう。
私は、それを見計らって、そっと外に出るのだ。
昨夜は満月だった。
満月を見ながら自宅のある一角を歩いて、その後、駅のほうに行って飲み屋街を歩いてきた。
阪急の川西能勢口駅を出て東に5、6分歩くと、チロリン村と呼ばれている飲み屋街がある。
どの店も年季が入っていて、ノスタルジーをそそる一角だ。
駅の西のほうに向かうときもある。
昼間は人の往来の激しいショッピングセンターのあたりも、夜になると、まばらになって寂しくなる。
そんなところを一人で黙々と歩いてくるのだ。
幸い、膝は歩き始めるときには、まだ少し痛いが、何とか歩けるようになった。
ところで、老年にさしかかった私は、何をするにも気ままになった。
食べるものもそうだが、こうした散歩なども、ずいぶん気ままにする。
一昨日来た、大阪のマンション時代の知人夫妻の奥さんが言っていた。「人生七十代が一番いい年代なんですって」と。
現代は、70代になって、やっと世の中のしがらみから解放されるのだそうだ。
私は、あと2年で70歳になる。
70歳と聞いても、いったいどちらのお年寄りのこと?と一瞬思いそうになるが、それが自分の年齢になるのだ。ああ。
満月に誘われ夜の街に出る七十歳とはどなたの齢? biko
まだ母もいませば己は娘なり娘のわれに七十歳(ななじふ)が来る biko
目が覚めたからブログを書いたが、また眠くなったから寝よう。
年寄りは気ままなるべしブログ書き眠くなりせばまた寝る気まま biko
70代と言うより 年々元気で好きなことができる人と 逆な人の格差が大きくなるのでは。
病気 介護 など。
老後の格差社会。
老後くらい 格差なくして 豊かな日本であって欲しい。
老々介護でなく 幸せな老後を。
希望することができる人生 人に迷惑かけず したいことが出来るまま 人生終了 願ってます。
上手く 思いどうり にいくといいのですが。
宮沢賢治の詩のように、人に迷惑をかけずに、特に褒められもせず、ひっそりと亡くなりたいです。
格差社会が云々されていますが、せめて老後は皆安らかにと念じています。
70代の自分は、まだ全然想像がつかないのですが、できれば、ゆっくりと一日をかみしめ味わうような生活がしたいと思います。
多分、性分で、そうはならないようにも思うのですが(苦笑)
60代も、前半は、まだ元気にしていられるのですが、私のように後半に差し掛かりますと、疲れやすくもなり、あっという間に一日が終わってしまいます。
それなのに、私は、未だに、あれもしたい、これもしたいと欲張るもので、余計一日が短く感じられます。
でも、長い一日を持て余すよりいいかも。
私には私の生き方がある、さんは、まだお若いのですから、頑張ってくださいませ。(^^)