神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

一昨日の夜中(=昨日)の記事でご紹介した川西能勢口駅東口のチロリン村

2016年05月24日 22時16分47秒 | 近所
               (駅から5、6分歩くとチロリン村の灯が見えてきます)

夕方、明日のお米を買いに出たついでに、

一昨日夜中(昨日)の記事「夜の散歩」でご紹介したチロリン村を写してきたのでアップします。

以前も書きましたが、昔は、現在の東出口がメインの出口だったので、現在の東口から東側は店舗、食堂、さらに飲み屋などが連なっていました。

が、阪急電車が高架され、駅も高架されるとともに西側に移り、さらに西出口もできたので、東口は寂れてしまいました。

ところが、どういうわけか、駅から少し離れた場所のこの飲み屋街、チロリン村は残ったのです。残ったということは常連さんがいるということなのでしょうね。

どの店も昭和に建てられた建物らしく、町全体がレトロな雰囲気です。


小さな村なのに一人前に脇道もあり、脇道にも飲み屋、カラオケ屋が連なっています。


私は飲み屋もカラオケ屋さんも入ったことがないのですが、中華料理店だけは、義母の整形外科医院通院の付き添いのあと、夕食を摂るために入ったことがあります。

お世辞にも綺麗といえるお店ではなかったのでしたが、中華料理は、そんな店のほうがおいしかったりするので、期待して入ったのでしたが、期待に反して、あまりおいしくはありませんでした(苦笑)。

チロリン村をぐるっと回ると、国道に面したところにも屋台があって、ビニールハウスよろしくビニールに囲われて、


「黒毛和牛焼肉一枚90円」と看板に書かれてありました。


この写真は、チロリン村の脇道を国道側から写したものです。


  能勢口の東にチロリン村はあり今も昭和の灯が灯(とも)るなり  biko

昨日の記事「枡添東京都知事の母校八幡高校校訓」へ追伸

2016年05月24日 17時22分43秒 | 私の意見
昨日の記事「枡添東京都知事の母校、福岡八幡高校校訓」に対して、やっほさんというハンドルネームの方からコメントを頂戴しました。

何でも、枡添都知事のお母様が外国の人であられるらしいと。

で、私もネットで検索してみました。

すると、出るわ出るわ、たくさんのサイトがヒットしました。

それで、コメント返しに、「もし、それが事実なら、とても日本の首都を任せることはできませんね。」と書きました。

が、落ち着いて考えてみると、

単にお母様が外国の人だからと言って、非難はしてはいけないと思い直しました。

片方の親が半島出身の人であっても、この国の首都東京のことを真剣に考えてくれるのなら、問題ないと思います。

が、結果的に、そうでなかったから、余計さまざまに言われるのだと思います。

世間の人たちは、とかく人の粗探しをするものです。ことにネットという本名を名乗らなくてもいい世界では。

だから、なおさら清潔である必要があるのです。

  母親が半島人といふ噂あればなほさら清くあれかし  biko
 
  混血と言はるる君にこの都政託しし都民の溜息聞こゆ  biko

  東京のことを考へ都政するならば何人なりても都知事  biko

枡添さんが天に誓って潔白だと言えるのなら、その証しを見せていただきたく。

ネット時代のタレントは「絵に描いた餅」ではなくなった

2016年05月24日 12時22分53秒 | 私の意見
タレント活動をしていた大学生がファンに刺されて重体だとか。

私達の若い頃は、映画俳優などのことはスターと呼び、それこそ夜空に輝く星のような遠い存在だった。

が、インターネットで世界が繋がるようになって、有名無名の誰彼とも瞬時に繋がれるありがたい世になった。

俳優やタレントでなくても、昔は小説家と読者というのは、お互い遠い存在だった。

売れっ子小説家というのは、これも夜空に輝くスターであった。

が、近年は、この人たちもごく身近な存在になった。

現に、今月も、私が、とある作家の小説の読書感想をしたためると、その作家の方から直接私のブログにコメントが届いた。

昔なら考えられないことだ。

作家も今や手の届かない空に輝くスターではなく、手の届くところにいる身近な存在に替わったのだ。

そんなことを考えると、今回事件のあったタレントさんも、ファンの方からは、ごく身近な女性に思われたのだろう。

それが、タレント側のというより、芸能プロダクション側の目論見であったろう。

だから思いつめたファンの男性が、手の届くところにいるはずの女性に素気無くされたことに対して恨みを抱いたのだ。その気持ちは私にも分からないでもない。

しかし、身近に感じられたとしても、それは向こうの戦略であって、現実ではなかったということだ。

が、ファンのほうは生身の人間、好きという感情をコントロールすることは至難の技だ。

  すぐそこにゐるかのような錯覚を誘ふネットのタレントの笑み  biko

  錯覚を誘ふネットの微笑みに誘はれしファンの一途さ痛し  biko

  私にも小説書けるかもしれぬさう惑はせるサイトもありて  biko