神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

子離れしがたし

2013年01月27日 04時15分54秒 | 家族
今日も、次男のところに行ってやる予定である。

次男が私の手元から離れて丁度10年になる。それが、すなわち私の子育て終焉後の年月でもある。

次男は、大学2年から大学のある和歌山で一人暮らしをするようになった。

大学1年のころは、片道2時間近くかけて自宅から通学していた。

その頃、夫は東京に単身赴任中で、私と次男の二人暮らしだったのだが、私は心臓の手術を受ける前の非常に体調の悪い時期だったので、あまり次男の世話をしてやれなかった。

そんな状態のころ、次男は家を出て一人暮らしを始めたので、仕方なかったこととはいえ、私は次男に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

次男は私の3人の子どもの末っ子である。上の2人は年子だったのだが、この次男は第二子の長男から9歳離れて生れた子どもである。、

手のかかる子育てが終わりかけた頃に生れた子だったので、生んだ後しばらくは、可愛いというよりも、しんどいという気持ちが勝っていた。次男には申し訳ことではあったけれど・・・。

そのためか、次男は末っ子であるにも関わらず、甘えるということが余りない。

長女、長男は、よく話しをしてくれる子供達であった。学校であったことなどをわれ先に話してくれていた。が、次男は、無口であった。元々そういう性格であったのかもしれないが・・・。

それが、親としては、よけい切ない。

今回も、肺炎かもしれない状態になっていたにも関わらず、たまたま夫が別件で電話して、会社を休んでいることが判明したのだ。

遠慮していたのではないかと思う。そんなところのある子なのである。

そう思うと可哀相でならない。

夫に言わせれば、私は未だに子離れができていないらしい。

夫は、子どもというものは親が思うほどは親のことは頭にないものだという。

そうだろうか?

次男は、10年前、私が心臓手術を受けるときには、前期試験中であったにも関わらず。和歌山から馳せ参じてくれたし、5年前、大腸癌の手術を受けたときも、このときは大学院生になっていたけれども、毎週和歌山から見舞いに来てくれていた。来ても、黙って枕辺に座っているだけだったけれども・・・。

無口だけれども、親思いの子だと思う。

それだけに、十分なことをしてやれなかったという思いが私の心を苛むのである。