神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

今日の午後は通院日だった&病院で着ている服を褒められた

2015年10月27日 17時41分50秒 | 日記
今日は一ヵ月半に一回の心臓検診日だった。

最近、ブログに写真を入れていないから、道中のお花を写した。ほとんどが夏の名残の花だ。

↓何度か写したが、川西市の市役所。


家を出て徒歩15分ほどで病院に到着。


待合室でテレビを見ていると、知らないおばあさんが話しかけてくる。

私の着ているブラウスが素敵だと褒めてくれる。

着ていたブラウスは20年以上昔に買ったもので、次男が小学生だったころ、スイミングスクールに行く道中に見つけて買ったものだ。我ながら物持ちがいいと思う。(笑)

当然お世辞だと思うが、服を褒めてくれたあとで私の顔が可愛いといってくれた。

えっ、四捨五入すれば70歳になんなんとするおばあさんの私の顔が可愛い?しかも、化粧もしてない素顔の顔が?

そのおばあさんに年齢を聞くと昭和2年生まれの88歳といわれる。

亡くなった叔母と同い年だ。叔母は、平成元年に62歳で亡くなった。

でも、その年齢の人から見れば、当たり前のことだが、私もまだ若く見えるのだ。

そんな他愛ないことで、昨日からの落ち込みから救われた(笑)。

おばあさん、どうもありがとう。(最敬礼)

  花柄の服を褒められほんのりとした気分にて帰宅せしわれ  biko

きのうはブログが書けなかった

2015年10月27日 05時28分19秒 | 日記
旅行に出たときなど以外は毎日書いているブログだが、きのうは書けなかった。

夫が「たまには実家に帰ったら」というので、「?」と思ってその理由を聞くと、「たまには一人になりたい」のだそう。

夫が定年退職して家で仕事するようになってからは四六時中一緒にいるようになった。

私には、夫が通勤していたころと比べると、昼食の支度もしないといけなくなって負担が増えた。

が、現在は夫が自宅で仕事を頑張ってくれているから、それくらいと私なりに頑張ってやっているつもりだった。

それなのに「一人になりたいから実家に帰れ」とは酷いではないかと思ったが、夫は「もっと自由に友達に会ったりしたいが、bikoが家にいると思うと気になってできない」というではないか。

私は夫を束縛しているつもりはなかったが、私自身は家にいるのが好きな人間なので、あまり出かけない。姑が外出好きで浪費家だったこともあって、それを反面教師にしているつもりもあった。

が、夫には、それが圧迫になっていたのだろうか。

「でも、ご飯はどうするの?」と聞くと、「ご飯くらいどうにでもなる」と、のたまう。

そこまで言われたら帰省しないといけないが、そうはいっても実家の老母は既に世話をしないといけない段階で、私の居場所はない。いや世話をしにいかなければならないのだが、実家は既に兄嫁が取り仕切っているから行くと迷惑がられるところもあるのだ。

曲がりなりにも、私は兄嫁から見ると小姑なので、私が滞在すると兄嫁はうっとうしいと思う。

昔は帰りたくてたまらなかった実家だが、「世は人に連れ」で、すでに兄嫁や甥の代にもなっている実家に私の居場所はないのだ。

兄が生きていれば、まだしも・・・。

夫はこうも言った。

「bikoは子供達の家に行ったときに手伝ってやろうとするが、あれは反って迷惑になっている」と。

え、私は迷惑をかけるだけに行くのは気が咎めるから、行けば、ご飯のひとつも作ってやろうと思ってするのだが、それが迷惑とは。

もっと年取って何も出来なくなるまでは手伝ってやるのが親の道と思ってそうしていたのだが、夫に言わせれば、「子供の家には子供の家のやり方があるから手を出さないほうがベターだ」と。

それと、私が疲れやすいのも子供達の負担になると夫はいう。確かに心臓の悪い私は疲れやすい。

が、そんなことを言われるとますます子供の家にも行きにくくなる。

私は、いったいどうしたらいいのだろう?

難聴という障害をもつ私は、相手がわが子であれ誰であれ、負担をかけてしまうことは自覚している。

大きな声で話してもらわないといけないし、聞き間違いはするしで・・・。

夫自身にも、難聴の進んだ最近の私は負担になっているのだろう。

・・・と、昨日はいろいろ考えていると、とてもブログを書くような気持ちになれなかった。

私は、もうこの世に不要な人間になってしまったということだろうか?

私は子供の頃から何度も大病をして死に掛けて、何度も神様に命を救ってもらった。

その命を自ら絶ってしまったら神様に申し訳ないと思うのだが、そうしないといけないのだろうか。

夫の子供(私の子供でもあるが)を生み育てて、夫の親の世話もしてきたと自負してきたが、それが終われば、夫には私が不要なのか。

  三界に家なきことは現代(いま)もなほありありとあり女に生(あ)れて  biko

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夫は昨日、高校時代の友人(女)のシャンソンを聴きにいった。

年に一度開催されるその発表会には、毎年同窓生が大勢来る。

むかし大手テレビ局のクイズ番組の司会をしていた美人の同窓生もくる。

私は夫が楽しんでくればいいと思って送り出すのだが、夫は、そんなときにも私が家で留守番をしていることが気になるのだろうか?

それは、夫の良心が咎めるからだろうか?

私は、ふだん仕事ばかりしている夫が楽しんでくればいいと思っているのだけれども。

昨日は昼食も晩ご飯もいらないと行って出かけたのだったが、どういうわけか6時過ぎには帰宅して「ご飯」という。

聞けば、コンサートが跳ねてからは、お茶をしただけで友人達と別れたと。

大急ぎで夕食の支度をさせてもらったが、それでも私は不要だと夫は言いたいのだろうか?

若い頃から何度も離婚を考えた。が、その都度子供達のことを考えて踏みとどまった。

私自身に甲斐性がないということも理由にあった。難聴であるだけでなく、体も弱い。

しかし、懸命に尽くしてきたつもりだった。

今だからいうが、こんな私でも、ほかに何人もから求婚もされた。

夫も何人もお見合いして、その中から私を選んでくれたはずだった。

  甲斐性のなければ既に生きる甲斐なき存在か六十路(むそじ)半ばに  biko

昨日は一日、ショックで何も手につかなかった。