一昨日の、「能勢で栗ひろいをしたあとでの昼食はジビエ料理満載の食堂」の記事に、かず吉さんという方から「息子の嫁ってどんな感じですか?」という質問をいただきました。
それで、「息子のお嫁さんは可愛いですよ」とお応えしました。
もちろん自分の生み育てた娘が可愛いのは当たり前のことなのですが、自分が産んだわけではないお嫁さんにも、また違う可愛さを感じてしまいます。
私は、自分が「お嫁さん」だったころ、姑にさんざん苛められたように思っていましたが、しかし、現在、自分が姑になってみて思うのは、息子のお嫁さんになってくれた人を可愛く思えるものだから、ひょっとすると、私は苛められたと思っていたけれども、あれは姑流の「嫁可愛がり」だったかもしれないと思ったりするようになりました。
人はそれぞれ考え方もやり方も違うから、あれは姑のやり方だったのかもしれません。
結婚してからずっと私の里帰りを許さなかった姑でしたが、しかし、お正月には、毎年、たくさんのお節料理を作ってくれました。
私も手伝わされましたから、そのお陰で、曲がりなりにもお節料理を作れるようになりました。この頃は私も手抜きしていますが、しかし、一通り作っていたという記憶は残っています。
これが毎年、実家に帰ってお正月を迎えていたら、たぶん上げ膳据え膳になって、お節料理の作り方を覚える機会が持てなかったと思うのです。
実際、姑の作っていたおせち料理を再現できるのは、たぶん義妹より私のほうだと思います。
なぜなら義妹は結婚前は世間並みにただ食べるだけの娘であったし、結婚後も一家で実家である我が家にきて姑の作るお節料理をご馳走になるだけだったからです。むろん現在は、義妹も嫁ぎ先流のお節料理を作っているとは思いますが・・・。
ちなみに義妹は私より一歳上で、結婚したのは私より10年近く後でした。
そういうことを考えると、盆暮れに実家に帰りたくてたまらなくて泣いた私でしたが、悪いことばかりでもなかったと思えます。
また、私には厳しい姑でしたが、私の子供たち、特に長女と長男は、心より可愛がってくれました。
長女など、私より姑のほうがいいくらいの”おばあちゃんっこ”です。
これも、姑が可愛がってくれた証しにほかなりません。
自分が姑になって、立場が代わればわかってくることがあるということをこの頃は思います。
かず吉さんも実際にお嫁さんをもらってみれば、お嫁さんは可愛いものだということが実感できると思います。
それで、「息子のお嫁さんは可愛いですよ」とお応えしました。
もちろん自分の生み育てた娘が可愛いのは当たり前のことなのですが、自分が産んだわけではないお嫁さんにも、また違う可愛さを感じてしまいます。
私は、自分が「お嫁さん」だったころ、姑にさんざん苛められたように思っていましたが、しかし、現在、自分が姑になってみて思うのは、息子のお嫁さんになってくれた人を可愛く思えるものだから、ひょっとすると、私は苛められたと思っていたけれども、あれは姑流の「嫁可愛がり」だったかもしれないと思ったりするようになりました。
人はそれぞれ考え方もやり方も違うから、あれは姑のやり方だったのかもしれません。
結婚してからずっと私の里帰りを許さなかった姑でしたが、しかし、お正月には、毎年、たくさんのお節料理を作ってくれました。
私も手伝わされましたから、そのお陰で、曲がりなりにもお節料理を作れるようになりました。この頃は私も手抜きしていますが、しかし、一通り作っていたという記憶は残っています。
これが毎年、実家に帰ってお正月を迎えていたら、たぶん上げ膳据え膳になって、お節料理の作り方を覚える機会が持てなかったと思うのです。
実際、姑の作っていたおせち料理を再現できるのは、たぶん義妹より私のほうだと思います。
なぜなら義妹は結婚前は世間並みにただ食べるだけの娘であったし、結婚後も一家で実家である我が家にきて姑の作るお節料理をご馳走になるだけだったからです。むろん現在は、義妹も嫁ぎ先流のお節料理を作っているとは思いますが・・・。
ちなみに義妹は私より一歳上で、結婚したのは私より10年近く後でした。
そういうことを考えると、盆暮れに実家に帰りたくてたまらなくて泣いた私でしたが、悪いことばかりでもなかったと思えます。
また、私には厳しい姑でしたが、私の子供たち、特に長女と長男は、心より可愛がってくれました。
長女など、私より姑のほうがいいくらいの”おばあちゃんっこ”です。
これも、姑が可愛がってくれた証しにほかなりません。
自分が姑になって、立場が代わればわかってくることがあるということをこの頃は思います。
かず吉さんも実際にお嫁さんをもらってみれば、お嫁さんは可愛いものだということが実感できると思います。