神鳴り(アメジストネックレス)

難聴ゆえに家居の好きな主婦です。過去、心臓弁膜症、大腸がんの手術を受けました。趣味は短歌です

秋の実り 丹波の黒豆の枝豆その他

2015年10月18日 17時52分49秒 | 日記
昨日は能勢町に行く前に、いつも行く「道の駅いながわ」に回ってもらった。

お昼前だったので、売れてしまっているものも多かったが、私達が入店してからも、次々と運び込まれるのが、上の写真の丹波黒豆の枝豆だった。

とりあえず一束購入した。一束700円が、安いか否か分からなかったが、新鮮なことは間違いないと思って購入した。

帰宅して半分茹でていただいたが、おいしかった。

  道の駅いながわに買ふ黒豆の枝豆くろし一皮むけば  biko

この黒豆と、お向かいの、現在は鳥取県在住の方が送ってきてくれた栗も一緒にゆがいた。

先々週、能勢で買った栗も大きかったが、この栗は破格だった。

黒豆を一莢おいてみるので、その大きさを見比べていただきたい。

食べた感想だが、あまり甘みはなく、大味だった。が、量的に食べ応えはあった。

  大味と思(も)ひつつ食(は)める大栗の大きさ小さなさつまいもほど  biko

↓渋抜きをした渋柿も同梱してくれていたが、これは甘くて非常に美味だった。甘柿より甘くらいだった。


Aさん、ご馳走様でした。ありがとうございました。

と、夫と秋の味覚を楽しんでいると、太鼓の音が聞こえてきた。近くの神社の秋祭りの宵宮の触れ太鼓だった。↓


川西に引越してきてから今年12月で丸9年になるが、難聴の私にはこの触れ太鼓の音が聞こえないので、今年初めて夫に教えてもらって、このおみこしを見た。

  越してきて初めて見たり触れだいこ町内めぐるそのみすがたを  biko

今日が、その秋祭りだったが、いつものように午後昼寝をしてしまって行かなかった。

ふるさとの老い母のことと今は亡き姑とのこと

2015年10月18日 09時45分07秒 | 家族
家制度はなくなったとはいえ、現代でも女性は結婚すれば婚家の人間という考え方は根強い。

むかし姑が私の帰省を許さなかったのは、自分の実家は既になくなっていて帰省できないのに、帰省できる私が羨ましかったというのが主な理由であったとは晩年の姑の口から聞いた。

が、私が結婚した当初の姑の口癖は、「あなたは嫁いできたのだから、ここが家です」だった。

友人達に話すと「まるで明治時代みたい」とか言われたものだった。

しかし今でも結婚して女性の姓が男性の姓になることには、こういう昔の家制度の片鱗が残されているということだろう。。

姑は、認知症の初期の段階では、たまに来る私達には、そのことを気づかせなかった。ふつうの世間話は問題なくできていたから。

が、日常的に訪れていた義妹は早くから姑の認知症に気づいていたようだった。

それで姑が保険証をなくしたとか銀行の通帳をなくしたとか言うときに再発行の手続きとかをしてくれていたらしい。義妹はひと言も言わなかったので、私達は知らなかった。

ところが、ある日突然義妹が「私は嫁いでいる身なのに、なぜこんなことをしないといけないか」と怒ってきたので、初めて姑の実情を知った。

姑は独立心の強い人、といえば褒め言葉になるが、非常にわがままな人であった。

だから、年取っても一人暮らしを望んだ。友人達とあちこち遊びに出歩くのが好きだったから、そのほうが好都合だったのだ。

それで、私も遠慮して、あまり行かなかった。

義妹は娘なので、その子供達を預けたりしていたそれまでの流れもあり、私より頻繁に行っていた。

だから、義母が認知症になり始めたことに気づいたのも義妹だったのだ。

しかし姑の認知症が進んで手に負えなくなってから、ある日突然、「私は嫁いでいる身だから」と言ってきた。

それを聞いて、私達は住んでいた大阪のマンションをほったらかしにして、身の回り品だけを車に積み込んで俄か引越しをしてきた。

なるほど一緒に暮らしてみると、姑の認知症はかなりになっていた。

当初は正常な部分もかなり残っていたから、対応にはずいぶん苦労した。

姑がものをなくしたり、しまった場所を忘れたりするのに、それの犯人は全部私になるのだ。

これはどう対応したものかと困惑しているうちに、姑の認知症はどんどん進んでいき、それに歩調を合わせるかのように、だんだんおとなしくなってきてくれた。

素直な可愛らしいおばあちゃんになってきてくれたのだった。

若い頃は苛められて辛い思いをしたが、しかし晩年は可愛いおばあちゃんだったから、私は、現在、姑に対しての嫌な思い出は全て水に流すことができた。

それと、自分が姑になって、姑の立場で考えるようになると、姑には姑としての考えがあったことを理解できるようにもなった。

義妹は産みの親のことを私のように達観できなかったと思う。来れば、いつも大喧嘩になって帰っていたという話を聞くにつけても。

その体験から、母親の世話は、義理の娘がするほうがいい場合が多いかもしれないと思ったりもする。

それで実家の老母のことに戻るが、私は、母のことが気になりながらも、しかし、兄嫁にお任せしておいたほうがベターかもしれないと思うところもある。

嫁いでいる私が引き取ると、お互いに遠慮がないことから本気の喧嘩にもなるし、夫はともかくとして、義妹などが何と言ってくるかわからないし・・・。

「嫁ぐ」という言葉は死後になっているようでいて、こういう事態になるとまだ生きていると私は思う。

以上、朝ふとんの中で考えていたことを文章にしてみた。